アメリカにいて何度も見るのは、英語が出来ない人々が生活できていることで、一方日本人で、英語が出来ない人はアメリカにはいない。
日本には観光客を除いて英語しか出来ない人はほとんどいない。また学校や繁華街で、日本語が出来ないでまともに生活できるスペースはほとんどない。
公教育に英語を導入したとして、教育者に対して意思疎通を図るコミュニケーション手段は少なくとも二つある。大抵のTAは実は日本語を分かっている。そして日本人がしゃべる間違った英語を知っている。彼ら彼女らと間違った英語をしゃべっていて、仮にそれを指摘されたとしても、それがコミュニケーション上の致命的な問題になることは絶対にない。
お前に足りないものがある。危機感だ。もしかしてお前、英語ができなくても大丈夫だとか思っていないか? (詠み人知らず)
アメリカで変な英語を喋れば、馬鹿かアホか変態ほむほむかと勘違いされる。下手すれば、撃たれる。
両方知り得る人々とコミュニケーションをしても、そうでない人々としゃべるときと比べて、コミュニケーションに要する精神的な負担が拮抗するということはない。全くない。
日本においては英語しかわからないという人を許容する環境はほとんどない。日本人は英語しかわからない人ばかりであるという環境で、よって立つ土台というものがそもそも存在しないという環境が存在し得、それが当たり前であるという状態があることを理解出来ない。
そりゃぁ、進歩しないわ。