あくまでラノベ(虚構)なので実際の現場でどうか、というのは置いとくとして、「ユーフォニアム」で個人的に上手いなぁとおもったところ。
なんですか、これとは (ナンデスカコレとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
「ああこの人偉いなぁ……」と思うのが滝昇のこの手のセリフ。
明確に「それが直接の理由だ」と書いてあるわけではないけど、主人公の久美子が最後に教師を選ぶことになるきっかけも、ある意味この指導者周辺の事情を3年次に部長として見ることになったからだろう
更に良いなぁと思うのは、久美子1年編だと滝先生は「単に怖い人」に近いふるまいをしていた気がする(「滝先生はすごいひとだから!」じゃすごさはつたわらねーんだよポンコツ麗奈)。一方で3年編くらいになると「悩みがチラ見えしている」みたいな方向に少しだけシフトしているのも良いんだよね。
とはいえ、決して奥のそこまでは見せない(麗奈が邪魔なのもあって見えない)感じもあるのは立派であった。
仕事の話としては「ネガティブサプライズを最後に突然出すな」というのがある。例えば評価制度がある会社で、しかも半年とか1年とかコミュニケーションを取るタイミングがあるときに、途中までは「頑張ってるよ」とか言っておきながら最後に評価がマイナスだったりする評価をしちゃう評価者ってのは、いる。これは評価サイドとしては仕事をしていない。
相手が大人であろうがなかろうが、まず「最終結果の前に現実を伝えて改善を促す」ことが重要。上のセリフは、最初の段階で、馴染んでもいない状態でスパッと切り出しているのが素晴らしいし、以後も練習現場ではまるで緩めていない。前提として(こっちの誘導は私は好きじゃないけど)「全国大会出場」という合意がある中なので、厳しい現実はなるべく早く伝えなければ手遅れになる、ってのが前提にあるんだろう
現実の従業員的お仕事においても、似たことはある。「給与増やしたい」と言ってくる人が、自分の職責に対して怠惰気味であれば、「それでは給与は増えないよ」とは先に伝える必要がある。十分以上でなければ給与を増やす義理も根拠もないのだから。
「給与増やしたい」に対して実際にはやる気がないなら、相当最後の手段としてだが「なんですか、これ」とか評価者側が言ってもしかたなし。私も「私の時間を無駄にしないでいただきたい」とか言っちゃおうかしら……
まぁ現実には厳しい言葉がけではなくて「失望」の方になりがちなんだけどね。一蓮托生でない(つまりその人の評価の低さが自分の目標と著しい連動をしない)場合が多いので、ぼやっと突き放しちゃうことのほうが多いんだけど
という社会人の一般的な話はさておき、この小説の評価対象は新入生も含めた高校生。主人公に至っては1年時点では「本当に全国行けると思ってたの?」と言っちゃう空気読めなさっぷり。故に「ネガティブな指摘」が「有益なもの」以上に「シンプルに辛いもの」にとらえてしまう。もちろん社会人担ってもそういう人のほうが多数派なのかもだけど、それにしても生徒・学生の立場を悪用するようなゴシップとかそういうのになりがち。当の本人たちが自分たちの立ち位置についてしっかり考えきっていない(それ自体は仕方ない)ことを棚に上げて攻撃対象を作り込んでしまう感じ、実に、……良いね。ままならないね。