真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

結局はゲーム観に至るという話

「油断するとうまくなっても死ぬ」というゲームを、とにかくクリアするのがおもしろいという発想がどの分野でもある。少なくとも私が触れた全ての分野において、最高峰は常にそういう領域で「一回クリア出来たかどうか」を競う派閥がある。

RPGの制限プレイでは一度倒せば神になれる条件というのがいくつか設定されており、場合によってはそういった条件を一つ一つ積み重ねることに、プレイヤーは生き甲斐を見出す。例えばFF5について。オメガは私が小学生だった時代はクリアできれば十分だったのだが(私の界隈では)、現在ではレベル1のカエル一体でも勝てる、という話になっている。

STGの制限プレイは、最終的には製作者が制限をかける形でまだ落ち着いていられる。虫姫さま ふたり Ver 1.5のULTRAモードのラスボスの最終最終最終形態をクリアしたという報告はまだないらしく、つまりそれをクリアできたら神になれる。別の話としては、怒首領蜂 大往生の二周目ラスボス緋蜂を倒せたのはPS2家庭用発売時点で一桁前半人であり、今でもほとんどいない。STG 1COIN-ALL(要するにノーコンテニュークリア)の界隈では、クリア未確認のクリア条件(これはケイブではない)が最高難易度に据えられている。

少しおかしくなると、STGでも「赤走行」とか「上下移動のみ」とか色々ある。「十字キー禁止」もあった気がする。

バイオハザード2は私が一番よくやっていた時代では1時間半でクリアするとすごいということになっていたのだが、今では1時間半程度でかつナイフのみでノーダメージが最高峰となっている。何がやりたいんだ一体。

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正反対の方向として、自然にやったときにゲームが自然とプレイ出来ることをもってゲームの善し悪しを決めるという立場もまたある。

ドラクエ8についての私の知合いの説明がおもしろかった。「丁寧に宝箱とかを拾いながらプレイするとレベル上げが要らないんだけど、どっかショートカットしようとした瞬間全滅するんだ」

ドラクエ8であれ7であれ6であれなんであれ、制限プレイをかけておもしろいと思う人の方が声は大きいものの、私としては自然に通り抜けられるゲームの方が圧倒的にありがたい。

こちらの視点を取りがちな人間は一般に、一つのゲームにあまり時間をかけてられない派閥だ。仕事で忙しかったり、本業がつり(釣りや吊り)であったり、たくさんのゲームをとにかく大量に消費しなくてはならなかったり、たくさんのゲームをとにかく大量に生産しなくてはならなかったり、するのだ。

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以前であれば、語るフィールドは物理的に少数しかなく、必須極めることがよろしい世界であったのだが、最近では特定の何かに肩入れし過ぎると他の何かが絶対出来なくなり、結果として何か食い足りないなんてことが私の私生活でも増えてきた。結果、相対的に「極める」方から「あまねく眺める」方にプレイスタイルが移りつつあるのである。

最近話題にしている世界樹はそこを逆行させて「極める」ことがデフォルトであることで人気を獲得しつつ、逆に私としてはそういうのがバランスが悪いと判定される。

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全く違う観点からいえば、今はネットが全盛であり、どのモンスターがどんなレアアイテムを持ってるかとかいった情報を自分で探すこと自体は、ゲームの一部としてはあまり見なされなくなりつつある。しかし以前は、それがゲームの主要な位置を占めていて、狭い範囲の人間で情報を共有することこそが重要だったこともある。

でもネット持ってなかったら同じだかんねぇ

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ゲームの特定の側面に目を向けたときにそれが良い点と映るか悪い点と映るかは人によって異なる。そして、異なる理由はゲームの外にあることもある。

時間的制約の緩やかな人とそうでない人で、すでにゲームに向ける視点は変わってくる。

いくつかのゲームのコミュニティで神とあがめられているスーパープレイヤーが、政治家であったことはなかった。世界に通じる極めて優れたプログラマーとして、Linuxコミュニティの界隈で活躍しているなんて話も、聞いたことがない。

ある特定の分野のスーパープレイヤーが、たくさんのゲームの奥深い点を全部自分で知っていたこともなかった。あるゲームで優勝するほどの実力を持った人が、STG段位認定では3段も無理ということだってざらにある。

私が良いと信じて疑わないプログラマーのほとんどは、東方のnormalはやってもlunaticは無理と言う。

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人間があるゲームを、そのゲーム単体で評価仕切ることには最終的には無理が生じる。

そのゲームが良いか悪いかを判断する行為自体に、その人の別の領域での生活風習がもろに表れてくる。

時間を費やすことしか出来ないゲームを良いと言えば、その人はきっとその時間の分だけ、仕事や家族との時間を減らしている。

ある人が「このゲームは良い!」と言ったとき、それはその人が社会不適合者であるということかもしれないのだ。

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というわけでゲームの善し悪しを決めるのは、要するに個々人のゲーム観ということなんじゃないかと。