真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

AngelBeatsに思った

まだ全部見てないので恐縮。

系統はリトルバスターズ。世界に対する一見するとバカらしい抵抗がいびつで不条理な現代社会に対するカタルシスに結びつくっていう感じで話を構築したんじゃないかと思った。存外に根底に眠ってるテーマは浅い。それは作品がつまらないということは全く意味しない。浅いからこそ、既存の文法を広く捉えることが出来るんだと思う。

世界観は灰羽に似ていると言われたこともあるけど、冒頭で「死んだ世界」と言っていることからその考えには同意できない。灰羽は消滅や転生に対する恐怖や葛藤や対抗意識をテーマにした作品じゃないし、過去のトラウマという分かりやすい主題を中心に据えたものでもない。もっとエグく、やさしい。そもそも、灰羽は世界に転送される段階で過去の記憶は全員消滅していて、生前のトラウマの解消や意図された日常の謳歌といった形而下の何かが消失条件ではない。そういう意味では消失条件に対する不条理さという点では灰羽が格段に上。

でもAngelBeatsは今日本で見る諦観に対する取り組みとしてはとても良いと思った。つらいときには勇気を出せる。葛藤から意味を見いだせる。灰羽は世界観の美しさに狙いを定めすぎていて、そういうタイプのメッセージを伝える作品じゃない。

1話の冗漫な説明セリフはどうしても避けられない。1クールでは世界観と人間模様を緩やかで地に足の着いた演出を持って描写するのが無理。必須、速度を確保するためには本質に属さない設定は記述的に表現するしかない。映画版FATE (UBW) で聖杯戦争についての説明が最初の数分で終わってるのと同じ。本当に表現したいものを見せるために少し犠牲にする必要がある。

昔と違ってじっくりと重みを噛み締めながら1週間の間もんどりうって危機的な状況のまま次の週を待つという、昔のアニメの文法はなくなってしまったのかもしれないと思った。具体的には、ゆりが催眠術にかかりかけるところ、これは昔のアニメならそこで「続く」ってことにして次回予告に投げてしまう。もし今セイバーJが1クールで作られたら、ライムの乙女回路消失は一話で収まって、小樽の苦しみに関する演出はずっと軽くなるとおもう。そういう類の文法の変化は、ある意味どうしようもないけど、残念ではある。そのあたりは4クール使って「君が大好きだー!」というそんだけしか伝えなかったエウレカセブンとかは、昔の文法を思い出せて良かった。

テレビで週1回オンエアーするという時間ラグを最大限に使う演出手法を、今はそんなに重視してないし、実際DVDやBlurayで見るときにはそういうタイムラグはストリップされるので、軽視されてしかたない。

でもさ、またまたセイバーJでライムとかがピンチになってからその次の巻が出るまで何ヶ月もまたされたとか、「エヴァシリーズ、完成していたの!?」とアスカが叫んだ瞬間に「わーたーしーにーかーえーりーなーさーいー」とか流れた時のそこで止めるのかひとでなし!という感じはもう今の時代のアニメでは作れないのかもしれないね。

USのドラマ事情とかはもう少しひどくて、確かに寸止めすんだけど、実はその1週間の間にネットのレビューとかを見てて次の話をどうするかそこで考えるとかやってるらしい。大衆迎合主義もここまでいくともう芸術で、「それが上の話とどう関係するの」という質問は受け付けない。

いろんな事情で、アニメで使われる文法体系が根本的に変わってきてるのかもしれないと思う。キャラを描写して退場願うところまでを30分に詰め込むというのは昔のスピード感だと、ほとんど「大例外」に属していたはずで、それはナデシコでガイが死んだシーンがどんだけ破壊力があったかというのと結びつくと思う。あれを今やっても、当時ほどには見た人たちはびっくりしないだろうな。マツタケ大佐(あれ?名前忘れた)が悪役だったはずなのにだんだん地位やアイデンティティを失っていって、最後は自分が殺したガイに救われて死ぬとか、ああいうステップを踏んで人を殺す文化ってのは何か今少ない気がする。どっちかというと大量にキャラ出してオムニバスで一人づつ処刑するとか。ボクは『ぼくらの』が大好きです。

むしろ、軽妙で当世風の萌えパターンで根底にある心理的葛藤を隠しておいて、それを30分枠のどこかで唐突に引っ張り出してきて瞬間的な感情の起伏を楽しませるような感じに近いんだと思う。ただここらへんは、主に京アニ系のアニメしか追ってない私の考えでしかないので、まぁ実体は分からんね。

まだ6話くらいなので、世間様が大分お怒りの10話見ないとなんとも言えんけど、良いアニメだと思う。

でもさ、ひとつだけ大声で言わせて。ゆりの声下手じゃない?