真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

かみかぜ

中央銀行的な視点で見れば円高になっていないのは分かるのだけど、それは判定する際のパラメータに国全体の貿易収支とかの日本企業の競争能力全体を情報を加えているからで、個別の企業や、全体を見ていない多くの経営者からすればやはり円高なのだよね。そしてその円高というダメージで本質的なところまでダメになったところで、真の円安、それも極端に逆向きに巻き戻るタイプの円安がいつか起こると思うわけだけど、あいにくいつかが分からない。分かればヘッジファンド経営してますね

日本だけ延々円高になる理由が正直良く分からんところなのだけど、思うに、気の利いた海外投資家は、日本の経済を他の経済圏から切り離しており、日本が良くなっても悪くなっても、他の経済的影響力が強くなってる国と比べれば世界全体への影響が軽微に止まるという見方をしてるんじゃないかという気が最近します。それが本当だとすると、一度円安方向に回った時にはもう日本は見捨てられたという合図になるんじゃないかという気がするのですね。円安になって輸出に強くなるはずなんだけど、その程度では日本という国が影響力を取り戻さないほどぼっこぼこになっている、と判断されていると見るのが正しいということです。揺り戻しは二度と起こることはなく、ポルトガルのようになるのですかね。ポルトガルって歴史を見れば相当立場の強い国だった時期があるわけですけれども、今はどうかな、というのとあんまり変わらない。

最近はなんというか「日本の企業」と言っても単に起源がそうであるというだけで、企業の実際の資産は外にもう漏れ漏れになってるんじゃねーのみたいな状況が多いように感じなくもない。私は個別企業の決算表とか読まないのであくまで「感じ」ですが。日本独自の強みというのは、実は国際社会上では特に重要じゃないとか、競争における主要なファクターではないとか、そういうことも思います。

ああ例えば、特定の産業での歩留まりが日本だけ異様に良いとしましょう。素敵だ。

ところが、競争ってのはそういうところ「だけ」では決まらないですよね、と。賃金貪ってる労働者 (日本人) がいないほうが、歩留まりが良いことより重要とかいう話になったらやってらんないんですよね。特にその品質という特性を海外の工場で複製できないのであれば「スケールしない」のです。確かに技術好きの人に取っては歩留まりが異様に低いことは素晴らしいしエコでもある(ほんとかな)。でもじゃぁそれが競争力の源泉かと言われると、それはあくまでケースによるし、そのケースがハマらないパターンの方が近年多いんじゃねーのと考えるわけです。まさに業界が利益の最後の一絞りを目指すという段階ではきっと歩留まりに目がいくだろうけど、最初に歩留まりが良いのに競争力が確保しきれないのなら、それはバッドサインじゃないかと。

個別の日本人の視点、つまり日本という国を取っ払って自分がとにかく救われるべきという視点で見れば、逆にそういう「日本の強みが日本に止まってる」今は海外に逃げる好機ではある。海外の人が持ってない強みを個人で海外に持ち出せるわけだから。ただ一方、日本という国としてはそういう流出が始まると、最後の砦が崩されたとばかりに全てが露見するんじゃないかと。

今や海辺に突風が吹いて敵さんが退散するという時代でもないので、日本という国の競争力と自分の競争力ってのは一度分けた上で、どちらにどういう強さと弱さがあるかを見極めてまず自分の行動を決めるのが良いのではないかと思うのです。いや最近政治がなってないとか言って回ってる人が多い一方でだったら変えるか逃げるかしようぜと思うことが多いんでねぇ。

すでに日本に守るものがあるとかいう人でも、守るために外国語の一つも勉強出来ないんじゃ、まるで説得力がないですよ。

で、ところで西海岸ですが、ことごとく物の「デフォルトの品質」が低いので、ああなんというかこれは書いてて虚しいなぁ日本人たくさんこないかなぁ、と思います。日本人に見えて日本語っぽかったことがなっかなかないんですよねぇ。むしろ日本語聞くと「何誰どこの異国人!?」とか思います。ところでなんで日本語でブログ書いてんだ私。