いやまぁ一般論として「俺の方がうまくできる」っていう気分は大事です。ただ最近、なんでもかんでも自分に目のつく問題を「直せる」って豪語するだけの人が多くて危惧することがあります。
世の中がある極端からある極端に走る最大の原因は、どうして過去の人々がある一方の極端に走ったかの本当の原因、原因を生むことになった過去の解決策がそもそも解こうとした問題を、現代の人が知らないし理解しようと努力すらしないことによるのではないかと私は考えます。表面的な問題を見て「ああ、これは問題だ」って言うのは簡単なことが多い。一方、直そうとして死んでいった屍の数を数えるのは大変です。
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とあるおばさんが、地元の店で売っている「手作りの白パン」がまずくて仕方ないと思い「私の方が良いものを作れる」と白パンを焼き始め、細々と売り出しました。売れました
あまりに売れるので、人手を増やさねばなりませんでした。
あまりに売れるので、上質な小麦粉が仕入れられなくなり、やむなく一ランク下の小麦粉を使い始めました。
あまりに売れるので、たくさん焼ける代わりに焼け具合に「少しだけ」ムラが出来るかもしれない業務用の窯をこしらえました。
そして隣町のおばさんが、言い始めました。「私の方が良いものを作れる」と。
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http://www.amazon.co.jp/dp/4320025377/mowanetjp-22
問題解決というのは、当初の問題から距離が離れたいくつかの分かちがたい関係問題こそが本質であるという場合が多いのです。とりあえずワインバーグを読んで頭を冷やしましょう。