真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

読書家がどうのこうのという話

知合い、特に一名が「最近のもわさんは読書家だねぇ」なんて言ってくれちゃうのだけど、比較対象はこちら。

404 Blog Not Found:多読って何冊ぐらいから言うのか知らん

年間400冊、それも「消化のいい」ビジネス書で本を読んだつもりになれるとは、ずいぶんと甘い投資に思えて仕方が無い。

...ちなみに私は本を月100冊以上読むが、費用は月5万円前後。...

私は月に高々10冊でございます。しかも全体として軽い感じ(^^;

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上記のエントリ、読み方について納得いかない部分もある。

「読書の目的を最初から決めない」という視点と「メモは一切とらない」という視点が「衝突」しているように見えてしまうのだ。

新しい知見を与えてくれる本を読むのには時間がかかり、しかも第一読目では吸収しきらない部分が残るだろう。そうしたとき、第一読で吸収するに難ありとする部分にチェックを入れておき、再度そこだけ読んで「復習」するというステップが私としては必要となる。本全体のスタンスを俯瞰した上での再トライというわけだ。

しかし上の方法では「メモは一切とらない」とある。すると、一読目で吸収出来ない概念は「捨てる」ことになる。一読目で吸収出来ないことこそ本当に目新しい部分なのに。

「メモは一切とらない」方法では、本全体を俯瞰した後の再トライは許されておらず「あれーなんとなくこんな感じのことが書かれてたような。でもどこだっけ」で終わり、そういうあやふやな概念はとっとと頭から消えてしまうだろう。

上の方法だと、得られるのは自分が理解している領域から半歩出ているくらいの知識でしかない。それは割と吸収しやすい領域の知識で、更に言えば自分が好んだ方向に自然と偏る傾向が出てくるだろう。結果、いくら本を読んでも自分が興味を持っている方面に「半歩、半歩」と知見が広がるだけで、「目的を最初から決めない」という二番目の目標が今度は白々しく見えてきてしまうのだ。自分の主張をサポートする部分を強く抽出するという失敗も犯しかねない。

「メモは一切とらない」という制約はスピードを殺さないための対処の一つであろうと思うが、スピードを殺さずに一読目で概念の拾い漏らしを減らせる方法も併用しないと、最悪、誤解を誤解で塗りたくる危険な読書方法となってしまいかねない。

dankogai氏がそうだとはとても思わないが、上の方法ではこういう可能性が常にあるのだ。
「あの人はすっごくたくさん本を読むんだけど、自分が期待する方向に読んじゃって本の主張を理解しようとしないんだよね」

最近私は付箋を貼って概念の拾い漏らしを減らせるか実験しているが、貼るだけで数行読む分のコストがかかってなかなかよろしくない。拾い漏らしを回避できる他の方法があれば、上の記事では是非それも書いて欲しかった。

dankogai氏の読書量には毎度感嘆せざるを得ないが、上の内容だけでは、私のところでその読書術の再現が不可能。なんとも残念。

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逆説的にはなるが、読書を投資として自らに「課する」人よりも、本に囲まれていることを「楽しむ」人の方が、本から得ているものは大きいように思える。そのためには、まず本に囲まれるということがどういうことかというのを味わった方がいい。高価な本どころか、自分の本である必要すらないのだ。

ちなみに私は高校時代には受験勉強ばかりやっていて、教科書/漫画/ラノベ以外の本は年に1冊も読まない状況が続いていた。「せんせー読書出来ないんですけど」なんて質問をマジ顔で国語教員にしたくらい読書してなかった(かつ読書したがっていた)。今の月10冊すら、私にとっては異常事態で、本に囲まれるなんて全くもって恐れ多い(笑

#図書館という手はあるにはあるね