真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

one of us

自分と周りをひっくるめて we とか us とか使うが、漠然と「俺ら」と言ったときに感じるコミュニティの存在が、日本とこちらでずいぶん違うような気がした。

来た当初それはアメリカ人と日本人というコミュニティ間のそれだと思ってたんだが、昨日こちらで働いている日本人の集まりにまた行って会話を聞いていたとき、なんつーかこっちのそこらへんの人ってまるで日本の有名人プチ有名人を別格視しねーな、という感覚にふと気づいた。

「最近ウメダさんちょー忙しくってオフィスをごにょごにょ」みたいな会話から、日本のネットイなんとかにつながりそうなオーラはほんのすこしも感じられない。ウメダさんは隣のウメダさんなんである。ゆーめーじん過ぎてブログが妙なことになっているウメダさんは、しかし彼らのコミュニティ内での one of us でしかなく、センガさんに対する意識もどーもそういう感じがする。いやもっとも多分単に知り合いであるから、というのがすっごく大きいんだが。うーんせっかくサインもらったんだけどあんまりすごくない気がしてきた。

そうセンガさんだ。正確にはチカが正解だが。何か話を遠めに聞いていると、ふつーのおばさ……おねえさんで、ただすっげーBrilliantなのが分かるという話。そこらの人の会話を聞いていると、日本で「わーすごいひと」と一言で片付けるのとは違う次元で何かどういうすごさなのかがなんとなく分かる。へへぇ。やっぱりサイン意味ないかも

日本だと、知り合いでも有名人とか偉そうな人なら「先生」とかくっつけてwe, usのくくりからは追い出されるのではないか、とかちょっと考えてみた。日本の一般 people の言うwe usとはすなわち、distinguished でない、つまりどーでもいい個体の集合なんだ、といういくらでも否定できそうなアイディアを、昨日のびみょーな会話からふと思い立ったのは、もしかすると何か精神が病んでいる兆候なんかもしれんけどそうではないかもしれない。

日本人と酒を飲んでいるときの人々の語る様子は、なんつーか「俺は一人の個人なんだぜー」という雰囲気ではなく「俺はone of ヒラ社員としてよくある苦しみにとらわれているのでございます」というネタの方がみょーに多い、あるいは頻度の問題と言うより、いやにシンパシーを感じさせるために記憶に残りやすい、ように思える。どこ行っても愚痴混じりだ。会社勤め人の会話は割とそんな感じな気がしないでもないというかまぁ酒飲みの経験は一般論ぶちかませるほど多くはないので気にしなくてもいいけど。

まとまんねー、やめ。

要するに、進む人と残る人の差っつーのはそういうもんなんだろうなぁ、と思った次第だ。そしてその差は言語化しようがない。