真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

変化には気づかない

大学入学したのが2001年。当時はまだADSLも一般的でなく、私も契約したのは夏くらいになってじゃないだろうか 。古い日記は2001年10月辺りからなのでそのあたりの情報はない。

#見返すとちょうどDDR MAXの稼動当初の日記である (http://mowa-net.jp/~amedama/olddiary/200110.html)。

当時は検索で結果に直行というのがあまり一般的ではなく、辞書も手元のものを使っていたし、Wikipediaもなかった。

私はJavaの勉強しはじめで、継承とかを知っているだけで授業で優越感に浸れるほどで、C++の開発環境はVC6 (歴史的に有名な酷い環境。次でまともになった)であり、Schemeとか知らなかった。

学部に進んだ頃に一度「もわもわさん何か変わった (コンピュータ科学っぽいことを話すようになった)」と言われるようになり、一方の私にはあまり自覚はなく、金はなく、昼休みにタッパーにごはんとふりかけというのを食べていたら、講師の先生にその後数年にわたって鮮明に覚えられたという (実話です)。

今振り返ると14歳の自分でもすらすらJavaとか書けるだろーとか思ったり、一方高校生のときの私の方が数学出来たよなーなんてのも思うわけ。

開発環境の側からすると、JavaはPCでもリアルタイムいっぱいいっぱいで、appletは全盛であり、一方DirectXは8に移行してどうやって2Dの描画をやれば良いのか分からなくなり、当時まだシューティングゲームというジャンルは私の中では一般的ではなかった。

振り返ってみて、変わった変わらなかったと語るのは簡単なのだけど、それが客観的に言った通りだということにはならず、むしろ直感と反する変化 (および変化「しなかったこと」)で、自分が形成されたということについて、私等は対して有効な記憶方法を持っていないわけなんである。

よくわからんかた。