真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

ぶんけー

(追記: この記事には事実誤認の可能性が多々ありますよ?末尾をお読みください)

大学学部から海外に留学することのメリットとデメリット - 武蔵野日記

私が絶賛文系否定な話を書いたときに「文系と理系とは何なのか」を提起した御仁が、なぜかそれについて語らずに文系と理系という言葉を濫用するに至っては感慨深いんです。いえ内容は直観的には理解しやすいんですが、以前擁護していた論調とちげーなーというだけであります閣下

自分が思うにそもそも分野を「文系」とか「理系」とかに限定して高校生に発するメッセージというのは根本的に間違っていて、アメリカで働きたいなら高校では理系に行きなさい、大学は日本でいいので理科系の学部でみっちり勉強しなさい、途中1年くらい交換留学にでも行って、大学院から海外のPhDコースに行きなさい、それが海外で働くために一番の近道です、と教えることではないかと思う。世の中のけっこうなものは理系的アプローチも文系的アプローチもできるし、入り口で分けてしまうのは日本人の悪い癖である。

まぁ大学の制度がそうである、というのもありますし、入ってからリベラルアーツとか学ぶインセンティブをどんどん減らしてるんで。

たとえば自分の専門である「自然言語処理」はコンピュータを使ってことばの本質に迫る研究分野なのだが、文系的アプローチから攻めれば言語学になるわけで、「ことばの研究をしたければ、言語学で、それは文学部にあるから文系だ」と決めてしまうのは大変もったいない。高校生の段階でやりたいことがあるのは結構なことだが、いろんな攻め方を考えるとよいと思う。(そして、理系から文系に行くのは楽だが、その逆は困難なことが多いので、どちらか選べるならまず理系に進学したほうがよいだろう)

これは良くないと思いますね。一般に理系な人はそういうのを軽視する傾向がありますわかります。

でもこの前紹介された『言語学が輝いていた時代』という言葉を見るに、今輝いてない分野という認識に至りそうな話でもあり、いろんな攻め方でobsolete気味に見えがちなところに「わざわざ全部光を当てるほど俺ら暇なん?」という問いを提起します。別に暇つぶし巡回ならいくらでもやるんですが、さすがに今文字列を回路で処理する古い命令セットがリッチなアーキテクチャについて語られてもうざいだけって話などを絡めると、さてなんで言語学では文系アプローチを理系さんが擁護せにゃならんのかという話はある気がします。そのうちモデルをがんばって作ってた人々を機械学習が駆逐しかけるとかいった自体になったときに再度同じ問いを「旧理系」が答えるハメにもなるでしょうし。

いやまぁ…主の言いたいことは分かるんじゃが、意地の悪い問いをされたらからには、し返すのがわっちの礼儀じゃ!

というか文系アプローチと理系アプローチのの違いを説明しきれる自身は今に至ってもあまりないですけどね私。サンダルの補助で科学的アプローチと形而上学的アプローチの違いの理解度はなんとなく上がりましたが。

いやまぁ再度書いておくと、言いたいことは分かりますし同意しますが以前俺叩いたときにはその論調は否定してたよね閣下!ということであります首相。「理系思考→文系思考」はあって「文系思考→理系思考」が選択肢として魅力的出ない話はその通りだと思う一方、だからそれだから私は文系嫌いなんだぜ、って話は以前したとおりです。私はしつこいどこまでも

と思って昔の記事引っ張ろうにも出てこないよままん。

追記

こまっちの人と戦ったのは博士とかそっちの話だったぜ。少なくともこのブログで文系の戦いをしたことについての記録はなかた。どこかでやった気がするけど信用に足る記録がないよままん。

なんというか「すみません」という感じですねはい。

でもおかしいな。確かに文系理系の戦いは誰かとやった気がする。んで、そういう話題では絶えず文系をdisる方向でしか私は喋ってない。文系「的手法」というのではなく文系を選択する人に対しては、私は大概いつも否定的なのである。とおおおおおっても否定的なのである。ふぅ

誰か見てる観客、情報を求めるぜ

あああ、あと、上記の勘違いとは関係なく私が文系嫌いという話は分かると思うのだけど、そういう結論にいたるはるか前から私は自分が文系人間と主張しているところにぶれはない気がする。文系嫌いだけど、文系なのよね。でも通ったのは大学の理系のコースだけどね!