真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

近況など

もうまったく読まれてないということで凹むわけです (http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=231119)。

それはともかく

非常に意味深いタイミングで大震災なんて起きちゃったもんだから、「MTVに来て良かったと思う?」とかいう質問にはいつも困ります。そりゃ、震災というのは、遭わないに越したことはない。かかっちゃったから割と勉強にはなったとはいえ、うつ病ってのもなりたいものではないのと同じ。

震災は別として、ま、仕事はしやすいなぁと思います。というか仕事以外してねーんじゃね

もっとも、最近色々な人の話を聞くにつけて、渡米している日本人とは、来ている理由の細かいところでかなり全く意見が違っていて、ある意味で面白く、ある意味で、ウザイのを感じており、これは長時間はいられないかも、とも思います。

つい先日、とある県の起業家集団 (アントレプレナー) と話をする機会があり、これ事態は大層面白かったわけです。いやぁ、そういうのって羨ましいよね。

そんときに受け答えしてるこっち側の人、というのももちろんいます。私もきしくもその一人だったんですが。

で、思うにそういうときの受け答え、全体として良いと思いつつ、一部、結構いい加減だったりもするわけで。

私を知っている人なら分かると思うんですが、私って「好きなことやって生活すれば良い」って類の意見が超嫌いなんです。理由は色々あるんですが、まぁ、いざというときにそういう人は他人を踏み台にしてることを正当化してるとか、そういうのが結構あるからとも思いますし、運の良さと自分の意志の正当性をごっちゃにしているとも言いますし、何か失敗したときに誰か助けてくれるさ、そうさ私らは大きすぎて潰せないもの、みたいなこと言ってるヘコったれバンカーと同じに最近見えて来てしまい、というわけで基本、私は「好きだから」何かやってるってことは、特にメインの業務ではほとんどない。

あれなんだな。普通の人が『金持ち父さん』みてイラっとくる類の怒りを、彼らにも感じるわけです。

で、そういう私の考えがある一方、シリコンバレーで話題持ちきりになる精神、そしてそれに乗っかろうとする精神は、まさにそういう「好きなことやれば」といったものだから、私は根本的にはこの地域の考え方には合わないなぁとひしひし思うのです。

人の性向を見ていると、自分の成功と、技術それ自体がもつ力強さを、いい具合に自分の都合が良い配分で語ってそれが正義とか見るとなかなかイライラします。ドットコムバブルの頃に全く未来の展望描けない企業がイミフな額で買収されたみたいな展開に似ていたりする。結果オーライなのは全体像。個別の人々を見ると、ときに結構「え」とか思ったりする。

風土全体、つまりポジティブな循環のようなものが結果的にうまい方向に行ってきた、というのはおそらく事実で、でなかったら優秀な企業がここまで集まるということもないでしょう。

ただ、そういうオーラのうねりに乗っかるだけの人が多くなっている状況ってば、まぁ他の件と同じくして微妙だと思うわけです。金融危機のことを思い出しましょう。あるシステムがこれまでうまくいってきたからその流れに乗っちゃいましょうっていう人が増えすぎると、そのシステムの限界を越したときにどうなるかはわからない。どんなによく出来ている自然体系でも、負荷が過剰になれば、揺り戻しが起こるわけです。

シリコンバレーについては伝統的にこれまでうまくいってきたからこれからもうまくいくと考える人がとてもおおいので、まぁ大丈夫なのかもしれません。でも一方、カリフォルニア州単体で考えればかなり財政は悪い。というか、話に聞いた限り、企業の登記自体はデラウェアらしいですからね。皆、その地域の重要性を語っていても、案外その地域にかけている負担というのには、各個人は全く感知してないし、興味もなく、みな揃って「大丈夫なんじゃね?」って態度です。

それってやばいよね。

ITだから、イノベーティブだからずっとうまく行く類のものなんですかねぇ、といつも思ってます。

もちろんー。ここが何かトラブってうまく行かなくなっても、私自身は、そもそもここで永久に暮らすという意図ではそもそもないので、私にとってはこれはそんなに重要な話ではないんですが。いや、多分。

話を戻して、そうは言っても、例によって現状ナイスな選択肢は他にはあんまりありません。とりあえず、数ヶ月以上はまだいるだろうって考えております。

そのあと私が何をするかはまるでわからないですねぇと、色々もやもやもわもわしてます。

ラフな案では「3年」が節目だなぁなんていうのが、前から言っているプランというか憶測。

ちなみに、「就職したあと3年で何か考えるという話」があったんですが、まさにその3年の節目で海外に行くという形で遂げられました。考えてもなかった。

3年。案外、短いんだよねぇ

ところで、そのとある県の人々の前では私は「企業は手段なんじゃね」とかぶちまけたわけですが、案外に個人的には目的化してる部分もあるので、そちらも考えなくてはならんなぁと。問題は、あれこれ考えているため、あんまりちまっこいことに足が向かず、そうすると良くある評論家風情のように単に思い描いて終わるという道を平凡に描く可能性が高いということでしょうか。stay foolishって格言ご存知でしょうかね。私ってば割と反対です。

ニューヨークなのかもしれない。