真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

適者生存の論理の本当

環境に適応できたものが生き残るって言う状態は、0.01%で全滅する可能性のある効率のよい形態より100%生き残れて効率の悪い(ただし柔軟性が大抵の場合無意味と言えるほど優れたような)形態に分があがるという、そういう話であります。ほんとにそうかって話を掘り下げるとすっげー大変なので、まぁそうしましょう。もちろん後者が前者に圧倒的形勢不利を許さない程度であることがもちろん必要であるとか、そういうあれこれの細かい議論は、どっか別で。

ここでいう確率は、ある瞬間に起こる確率が0.01%という意味では本当はなく、累積数万年で1回は必ず起こる、といった意味とでも考えてください。ある超長期的な時間的流れの中で起こるか起こらないかの「確率」は、本来計算できません。累積的に積み上がる環境負荷や、予期不可能な要因を無理やり特定のモデルに流しこんで、バタフライ効果とでも言われるような、パラメータ一つ無視すれば結果が大幅に変わってしまう自然現象を無味乾燥の数式に落とした際に出てくるのが確率で、自然を確率で扱うのは本質的にはちょっと無理があるわけです。本当の確率は、「ま、無理があるんだけど、やらないとそれはそれで義務を果たした感じにならないので、とりあえず説得力のあるラインを積み重ねて祈りましょう」というようなものなのだと思います。そんなものであっても、全体としては人間の進化を大きく下支えしたという点においては変わらず、で、何故かSFでは世界崩壊が何度も語られるのです。なんでだろ。

人間の生命100年未満をとってみると、そういう「モデル化したら0.01%」の現象は起きないようにも見えるし、あるときには「想定外の要因によって」起こるとも言えます。それは振り返ってみて0.01%だったとはとても思えないような予想外、振り返ってみれば「考えてしかるべきだった」考慮外パラメータによるものであったり、あるいは本当にモデルの中に織り込まれていた「計算可能リスク」だったり。

さらに現代の人生で最も精神的にチャレンジングな50年を切り取ると、上記の「適者生存」の論理である「0.01%で全滅」が本当のところ起こるのか起こらないのかについて、どれだけ私らが不案内かがなんとなくわかるようなきがしてきます。単に味気のない数式としての0.01%だけ見ても、累積で起きない確率は軽く90%以上、だから起こらないと高をくくるもよし、一方想定外の要因でさらに大ぶれし、だから実際には90%をさらに下回り、「ブラックスワン」を予見してヘッジファンドを運営するも実は10%が起きるとは限らず沈没。そんな世の中な気がします。

人間の世の中の現象として「その環境に適したものが残る」という話を自然界の適者生存になぞらえて語ろうとする人ってのは、だからなんか本質的に微妙かなぁと思うことがあります。むしろ、「適した人が残って欲しいのに、なんだか色々切ないね」という状態が人生全体に蔓延して一生ぐぬぬ言うというのが、普通なのかもしれません。一方サイコロ振ってあたった人が後から「こういう成功方法がある!」と本に書いて二度儲かるのは、いつものとおりです。