http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/95d3adf9ab70ecda6604c71a807eedaf
トマス・クーンは、学問的なパラダイムが「通常科学」になる条件として、パズルの生産力をあげている。大きな科学者集団を維持するには、新しい問題が次々に作り出され、それを理論的に解明して実証的に確かめる手続きが明確で、多くの研究者が生活するための仕事がつねに生み出される必要がある。自然科学の学会はそのための組織で、経済学はそれをまねている。つまり経済学の形式的な学問体系は、彼らの生活手段なのである。
若干マッチポンプっぽいんだが、食い扶持を確保した上での知的議論だから仕方ない面もある。一部の成果は十分現実で使えるんだから波風立てんなよ、といったところか。とても科学っぽい。
追記:先日は、コメント欄で「チョムスキーなんて役に立たない」と書いたら、計算機科学の人から猛反発を受けた。
こっちは「当たり前だ」と思った。計算機科学の分野ではチョムスキーの名がついたあれこれが実際に役に立っているからそう思うのだと思う。
「学問の功績としてどうかとは別じゃねーか。つーかチョムスキー標準形なんて名前にちょむちょむ付いてるだけだぜ」というハナシかもしんないけど。名前が功績を反映してないとかいう事情があるんかしら。
だそうで。ここら辺の事情は私は知らないのでここで打ち止め。
あと一点
だから最初に戻ると、私のやり方がイジメだという批判は当たっているが、揚げ足取りだというのは違う。世間の通念にさからって経済学(らしきもの)を説教するときは、その学問体系の中の厳密な言葉を使うべきであって、「賃金」が都合によって個人の賃金だったり平均賃金だったりするのでは話にならないし、「定理」としてデカ文字で掲げた命題と矛盾することを本文でのべるのは論外だ。そういう厳密さを捨てるなら、経済学の名によって語るべきではない。経済学の取り柄って、それしかないのだから。
これで池田氏に対する個人的な印象が一気にアップした。