真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

『雑に作る』

一言でいうと「参考にはなる。激オススメするかというとそんなにおすすめはしない、それはこの本が悪いということではなく自分のスタンスと本のスタンスが異なるからだ」

自分と「電子工作」という文脈でつきつめたい文脈が全然違うので、ほんの中に書かれている方向性は別を向いている。ただ、初手で危険回避するような話で異論は全然出そうにない。この本は正しいところからスタートしている。気軽にやるというスタンスも良い。

「100VはNG」「電源消せ」は全くその通り。100V方面は私は「理解したい」ので電工2種を勉強しているけど「徹底的に避ける」というルートのほうが普通だと思うので、この本の「安全3か条」は絶対的に正しい。

「裸の充電池を使うな」は学びとなった。言われてみると私はこの手の充電池に興味がそこまで興味がない。給電についてはUSBからの5Vや3.3Vか安定化電源経由しか想像してなかった。ただ、この指摘なしに手を出して大変なことになるのは分かる。ちなみにアルカリ乾電池で抵抗無しでショートさせて電池ボックスが溶けるくらいの事故は私も経験している。程度問題であって他人事じゃない。

その後、道具とアイディアの部分から自分との乖離は大きくなる。アクチュエータ、あるいはモーター等で実際に現実を動かす系統への言及が多く「なんか、一度作って面白いもの」くらいのノリが中心。よく言えばMaker寄りとでも言うんだろうか。「アクチュエータとArduino」が電子工作というテンション。これ自体は違和感はないけど「電子工作と言ったときにそっちだけ」というのは何か物足りない、とは思った。

自分が、どちらかというと「電気電子、アナログ回路の無理解を正すこと」「マイコンの高度化について理解すること」に重点を置いているというのが、なんとなく異端気味なんだろう、と読んでいて思う。

そういえば本のタイトル『雑に作る』もそもそもちょっと自分のスタンスとは違和感があるといえば、ある。アケコンもどきを作る際に「雑」で良い場所ってこの本が考えているものと大分ベクトルが違う。「雑に作って、使えない」のは困る。

この本は「実用に供する」視点よりは「パット見のアイディア」を重視するスタンスに見える。悪いものだとは決して思わないけど、自分は単純に「好きじゃない」んだろうと、読んでいて思った。作りました、学園祭でわーきゃーできました、その先はありません、なんならそのわーきゃーの間に壊れるくらいのものです。

なんというか、この手の「作ってみた」の話は、実は個人的に読んでいて気持ちが良くはならない。筆者陣営は絶対に気持ちよくものを作ることを推しているはずなんだけど。私は多分「気持ちよく使えること」までは持っていきたいんだと思う。

MVP的なプロトタイプとしてのスタンスは自分の方が中途半端だが、個人(つまり大量生産しない)用途で自分で作ってそこそこ長期間使える電子工作の方が実入りが多いと感じる。この本にはそういう目線はあんまりない。むしろほとんどないとでも言おうか。

「哲学が異なる」ってのはこういうズレのことなんだろうなぁ、と何となく思う。「雑」であっても、例えばギャル電嬢のツールセットは参考になるし、p171のジャンパブロックを使うその場しのぎの方法も個人的には「良いヒント!嬉しい!」と素直に思える。

ただ、達成しようとしていることの方向性が根本で大分合わないな、という感じが終始耐えないので、そういうパーツ毎のヒントを大変ありがたく頂戴しつつ、本の主張には首肯したくならない。この本を人におすすめするだろうか?「根本的に推進したい哲学が違うが、ヒントヒントは役に立つ」本を「激オススメの本だよ!」とは自分としてはまず言わない。というわけで冒頭のとおりだ。

哲学が違うが間違っているわけではないので、こういうタイプの情報がある程度発信され続けること自体には私はポジティブな感情を感じる。一方で、このタイプの哲学で、自分が見出したい電子工作発の世界の面白さはずいぶん底が浅い予感もする。それとも、何か深い発見があったのだろうか。イノベーションは難しいものだから、そこについては推進も阻害もしたくない。