真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

そういえば Air

高校時代のオタク知り合いが当時「Airは結局何も解決してないんだ」って言ってた。ああつまり、観鈴は不幸だし、翼人の運命は変わってない、その呪いの一つの断面を再生した作品だって意味合いですね。

「そうなんだっけ?」と思いつつ、あんまり考察とか自力でできてないやってない時代だし「まぁ多分、あれってハッピーエンドのはずなんよね、なんでそんな発想になったんだろうね」なんて思っていた。

ふと、なぜか「Airの決着って本当になんなんだっけ」なんて思って眺めていた。最近の「考察」は概ね「観鈴(と晴子)のインタラクションが呪いを乗り越えた」なんだなー、なんて今更読みまわっていて思った。多分これがFAなんだろうな。

Air、当時間違いなく好きだったんだけど、最近はそうでもない。

なんかね、暗号的というか、地に足がついてない感じが好きではなくなったんよねー、と。全般的にサブカル的な「考察」があんまり好きじゃないのの裏返しなんかもしれない。ここでしか書かないけど、国歌たる「鳥の詩」も「勢い」の歌、というのが、「今の」「私が思う正直なところなんよ……(当時どういう受け止め方をしたのか実はもう覚えてない)

あと細かいけど「みちる、いなくても変わらんやん……」みたいなところかなぁ。

社会人的な立ち位置で、地に足がついているけど「きたねぇなぁ……」みたいに思う事象を、ある程度自分で納得の行く方向で処置してきたここ10年以上なんだけど、そういうを減ると、なんというか、おとぎ話の都合の良い美談と奇跡があんまり響かなくなっちゃってるんだよなぁ、なんて。

ちなみにKanonCLANNADリトルバスターズにあんまりそういう感情はないです。CLANNADは、街の奇跡がちょっと気になりますけど、Airと比べれば地に足が付いているかなと……。何より仕事の概念が素朴なんだけど未だに看過できないんすよねぇ……(ちなみに汐あたりからが実はそんなに好きじゃないんです)

大分変わるなぁ。歳ってやつですね。