真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

電車内でふと考えた

人のいやがることが分からないと言うことは、その人が何を求めていて、何を求めていないかを判断できないということだ。私の求めることを、その人は理解していない。

私の望むことをそもそも理解出来ない人が、それを私に実行してくれるだろうか。空にばら撒いた紙クズは、一つの器に集まることはない。一片や二片程度なら偶然器に貼りつくだろう。だが、望むほどの結果はまず得られない。

相手が自分の不快感を理解できないのであれば、相手が自分の快く思うところを理解していないのであれば、その人が有能であっても、あなたには関係がない。その人を「使う」(働かせる、利用する)ことが出来ないからだ。仮に出来たとしても相当の苦労を要するだろう。苦労しても、得られるものは割に合わないだろう。

その苦労に見合うほどの価値をその人から得られるのかを考えることだ。もし得られないなら、その人がどんなに有能な人間であっても気にすることはない。捨てるがよい。あなたにとって、その人は役立たずだ。