真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

頭の良い人の中で成功しない人のパターン

しばしば、頭は良いが行動が伴わない人というのに出会う。「そこまで分かっていて何でやらないのさ」という印象を持つような人だ。

頭は良いが行動が伴わない人も、成功に繋がりそうな行動のプラスの側面は分かっている。だが同時に、それに対して一歩踏み出せない強力な行動障壁をも抱えている。

何故だろうか。

私が見てきた限りでは、特に日本の頭の良い人は、自分の中の「不確かさ」に対する見積もりを「大きく」誤ることが多い。これが少なくとも原因の一つではないかと思う。

頭の良い人は、そうでない人と比べて色々な物事を理路整然と考えられる。また、一回の思考で到達できる範囲も普通の人よりずっと大きい。そしてそれが故に、頭の良い人は「知見の切れ目」により敏感である可能性が高い。

サーチライトの光が広範囲を明るく照らしているとき、そのライトの向く先に障害物があるとする。光が明るければ明るいほど、範囲が広ければ広いほど、障害物によって隠れる領域は多くなる。障害物が照らす範囲に収まりやすくなり、影が多くなる。光が明るく範囲が広いほど、ライト1つに対して見えなくなる領域は大きくなる。

相対的には、見えない領域は見える領域よりはずっと狭いはずだ。あるいは、少なくとも見える領域に関して、普通の人よりずっと大きなアドバンテージを持っている。

だが、見えない範囲は絶対的に見れば多く、一個人がその「見えない範囲だけ」見たとすれば、恐れるのも無理はない。

「知れば知るほど分からなくなる」とは良く言ったものだが、頭の良い人の問題はそれよりもう少し難しい。彼らは既に知っている。だから「知れば知るほど」の過程なしに「分からなくなる」ことを体験してしまう可能性がある。

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不安に対して弱い人が、他人に対してぎゃーぎゃー言って自分の不安を正当化したがる、という行為も、心理的には妥当なように思える。「お前の行動の間違い方を見ていると、俺の嫌な予感(不安の言い換え)は正しかったのだ」という感じで。

「成功できるのに何でやらないの」と聞いても、本人は単に「やる気がない」と言うだけだ。だが一方で、何かしら大きなことで成功した人を見ると「ウラヤマスィ」みたいな目で見ている。見ていて、その人の欠点をあげつらっている。そして批判をしているその人自身はずっと成功体験を得られない。