真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

我慢の限界をコップに注がれた水に喩える話についての雑記

かなりあいまいな意味での「我慢」になるんだが、たとえば外科医をしていた人が、患者の生き死にを見過ぎてしまい「コップに注がれた水があふれるかのように」医者としての活動からリタイヤしてしまうなんて話のことだ。『BJによろしく』のエピソードにそういうのがあった気がする。

この喩えは「溜まる類の負の感情」が蓄積してしまうことで、人が耐えられなくなることを表しているのだが、では実際にそういう例って人間の生活でどのくらいあるんだろうか、と少し考えてしまった。

(つづくかもしんない)