真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

日本はまだ本気を出していない

北米の某国のconferenceにアフリカの大学から特別公演にやってきた。その人物は片言の英語で、現在のアフリカ全土における、グローバル化と政的基盤の安定化への努力について説明し、それらがようやく、本当にようやく実を結び始めたことを、近年の当該大陸の各国の成長率や犯罪率の遷移についての情報と共に伝えた。そして最後に「長い間の先進国からの絶え間ない援助がついに実を結ぶ時が来たと言える。先達の、そして現在の先進国の絶え間ない後押しに心から感謝を申し上げたい」と閉め、そのconferenceの華々しい幕開けを飾った。

美しい特別公演から始まったその国際会議はアメリカのシアトルで行われた。使われる言語はほとんど英語だが、顔ぶれにはアジア系が多く、しかしどの国から参加しているのか、それともアメリカに国籍を持つものなのかは聞いて見なければ決して分からない。一つ特徴を挙げるとすれば、参加者の中に明らかに英語に堪能でないものが近年増えたことであり、彼らのために中国語翻訳が取りいれられるセッションがかつての技術会議より格段に多くなったことである。

現在、経済の規模を見ればアメリカより中国の方が単純な値で見て大きく、昔の人々が見ればおそらく「中国が世界の中心となった」と短絡的に考えるところであろうが、実際にはことはそう単純でもない。GDPの値、成長率において、中国はトップに立ったが、グローバル企業の多くは相変わらずアメリカに本社を置き、今中国に本社があったとしても、ゆくゆくはアメリカにそれなりに大きな拠点を持ちたいと思う企業は半数を軽く超えている。

中国は人材の量で圧倒し、単純労働者も知的労働者も圧倒的な数いる。しかし一方、アジアにはインドというライバルがおり、今では東南アジアの各国もまた、共同戦線を張ることで中国の独占市場を阻んでいた。ほぼ同じタイムゾーンにあるオーストラリアも、無視して通ることのできない国家である。

今、中国と述べたが、これはおそらく今この文章を読んでいる読者が思っている「中国」とは別の国家であることを述べておかねばならない。

共産国家」であった中国は一度破綻した。大気汚染、労働問題他、数重なる負の遺産を巻き込んで、共産主義を謳ったかつての中国は大不況の波に飲み込まれ、天空を目指していたかのような株価は暴落して地に落ち、それによって共産主義政権に対するクーデターが勃発、それが国家をさらに不安定にさせ、一度は大昔の世界恐慌もかくやといえるほどの苦境に世界経済を追いやろうとしたことが、今では懐かしい。資本主義の流れについに屈して変貌をとげたその国は、国外との間の境界を撤廃せざるを得なくなり、国内の人間はかつての政権が隠してきた自国の恥部を目にすることになった。もっとも、その頃には半分以上のインテリジェンス層はそのような醜態について周知しており、その露出そのものが与えた影響は小さかった。

一度は地に落ちた信頼、国力は、しかしもともとの数の暴力を覆すには至らず、以前ほど急速ではないにしろ、やはり圧倒的な力強さで、新生中国はまた世界の経済戦争に参戦するに至り、そして上記の中国となっているのである。

かたやアメリカは、見た目のGDPでこそ中国やインドに劣る国家になったが、逆にそれが彼ら自身のアイデンティティの本質を変化させ、今ある形にした。世界を牽引する力を求めていたこの国は今では世界を調停する良き「ハブ」となり、そこには世界中の情報が流れ、加工され、外へ流れていく。この情報の流れには中国が得意とするような単純労働力はあまり必要ではなく、むしろ各国から信頼され、自国へ優秀な人材が流れ、一時的にしろ国内でその知的生産性を発揮し、あわよくば自国にとどまってくれるよう政策を調整すれば国家として安定することを、この国は学んだ。

過去をリアルタイムに見てきた人々にとって驚くべきは、中東や東南アジアのイスラームの勢力もまた、現在この「ハブ」を強化する仕組みに自然と組み込まれていることである。経済的に最大の国家でない国が軍事に不釣合いな予算を割くことを、世界は許さず、結果としてイスラームの過激派とアメリカとの対立はかつての人々が予想だにしなかった結末を迎えた。中国、インド、東南アジア諸国、果てはアフリカに至るまで、過激派を阻む壁はシンプルな単方向の思想原理で抑えられる状況ではなくなり、穏便派の純粋なる経済発展に対する渇望が過激派の内部における求心力をさらに弱め、結局は彼らが求める「原理」は、かつての進化論否定派のように脇へ追いやられることとなった。どんなことも、うまくいくときといかないときがあるが、アメリカが経済的に世界一を目指すという点で「うまくいかなかった」ことが、結局は世界の物理的平和に貢献したのであった。

世界各国の企業は、実際のところこういった国家や宗教観の垣根というものをl10n (localization) という問題に単にまとめることを学び、国家間対立というのは物理的、表面的に見えるものであって、経済の主体はグローバル企業間の協調、あるいは対立、という形で現れるようになった。付随して、近年のの多くの社会学者が、グローバル企業の数十社はいくつかの発展途上国よりはるかに巨大な資本と組織構造を持つことに言及し、その中に物理的制約のない「国家」を「再発見」した。各国家の法律は言ってみればかつてのアメリカの「州法」であるとかどこぞやかの国の「条例」といった縛りに近い意味合いを帯び、企業は各国における「コンプライアンス」を超えた「グローバルコンプライアンス」なるものを策定するのが今の常である。古臭い「エコロジー」をキーワードに活動する企業もあれば、やはり古臭く、そして定義のあいまいな"Don't be Evil"なるものをキーワードに活動する企業もある。

企業毎の特色が、いつのまにか国における「憲法」のような形に昇華されることを予想していた人々は実は多数いたが、それが現実になると、やはり人々はまだ「領土なき国家」に違和感を覚えることに、私個人としては人の物理法則への依存性の念を再認識する限りである。

ここまできて、私はかつてGX (Xの部分にはかつては8であるとか数字が入っていた) に肩を並べていた「国家」を振り返りたくなった。

今でもそこは立派に地域として認識されて入るが、もはや「国家」ではなく、近隣諸国からは「特別保護地区」という、なんとも風変わりな、まるで絶滅危惧種を思い出させるような用語で守られる列島と成り果てた。その地域を私は"Nippon"と呼ぶ。

このかつての「国家」は、端的に言えば破綻し、中国と異なり再生を果たせず、企業で言えば破産した。他の「国家」にもいくつかそういう例がすでにあったが、かつて、一度は「極東の小さき超大国」の名を冠されていただけに、今回の破綻はやはり看過出来る代物ではなかった。もっとも、その時点で既に中国の痛い例を世界は目にしており、また中国と比較してすでに市場規模も小さく、また誰しもこの結末は予想出来ていただけに、その国際的影響たるや、悲しいほどに小さいものであった。このことは、「日本」の当時の国民のプライドを無為に傷つけたが、もちろん他国がそのような点にこだわるわけもなかった。

他国にとって関心があったのは、破綻した「日本」という国家ではなく"Nippon"の持つ特有の文化と、そこに住む人々の国家に対する不信が呼んだ10丁USドルに及ぶ"Tansu-deposit"である。国家自体は少子高齢化によって、成長力に再起不可能なほどのダメージを受けていたが、残った金は依然として金であった。

今、"Tokyo"はスラムほどではないにしろ治安は以前と比較して圧倒的に悪化し、ドラッグと闇金融がかつての清き大都市に混じりこんだ。結果、歴史的にも稀なほどのすさまじいまでの錯綜都市と評されるようになった。技術水準は高いものの閉鎖的で、若者は回顧的でもあれば退廃的でもあり、相互の傷の舐めあいかさもなくばインターネットを通じた罵り合いに終始し、それでいてかつての住み心地もまた残していたものだから、他の国家から"Tokyo"を初めて訪れる人々はその都市の異常な発達の過程を決して理解できない。最近では、日本古来の伝統を表に打ち出した"Kyoto"と呼ばれる、列島の西側の都市への訪問の方が人気がある。

若年層の退廃化から逃れつつも必要であればそういった地域へ訪れなければならないという需要も伴い、expressによって1時間〜2時間で"Tokyo"や"Kyoto"から訪れることの出来る郊外へ、資金を大量に有する高年齢層は退去として移り住み、ちょっとした民族(大?)移動となった。

この郊外都市の基本的なインフラについて見てみよう。従来の"Nippon"の幻想を覆さず、水はただである。また高齢者層に対するニーズに配慮して、彼らが使う情報端末(簡単に言えばPC)は単一のハードと数少ないソフトウェア上の選択肢(どれもユーザフレンドリである点では変わらないが、若干の好みの違いを吸収し、(海外)企業の競争も助長する目的でのみ存在する)に応じて構成される。

かつてモデムやらルータやらと呼ばれていた(、そして国外では相変わらず普通にある)機器は、そういった郊外都市の各戸には存在しない。郊外都市ごとにその都市をまるごと包む形での高速な無線通信によって、彼らはインターネット上の将棋コミュニティや囲碁コミュニティを行き来する。彼らが持つのは一つのeメールアドレスであり、その一つが彼らのネット上での一人の人格となる。少しトリッキーなことを楽しむ人間は複数のeメールアドレスを持つことすら出来る。

無線通信の高速化は国家が破綻した際に電波帯域を中国、アメリカを基点とする企業が買い争い、複数の帯域を効率よく使い込むことによって達成され、その基地局は郊外都市の自治体との連携により管理される。まるで"Showa"と呼ばれた大昔のように、その郊外都市ではときとして自治体の車が「町内」を走り回り「本日午後3時から午後4時にかけて、ネットワーク設備の点検が行われます」といった案内が行われる。

そういったインフラストラクチャーの整備は、表面上は日本古来の企業が行っているように見えたが、その母体は既にアメリカか中国にある。表面上は「日本」という幻想が残っているように見せかける古典的トリックであるが、とても有効であるがゆえに当然容赦なく使われている。

各地域の介護施設も、その母体が海外にあるという点で大差ない。"Nippon"にとって喜ばしいのは、国家の破綻によって介護の質がむしろ逆によくなったことだろうか。かつて不人気だった介護士は医者ほどではないにしろ今や立派な高級職である。汚物処理といった仕事は相変わらずあるが、それは心臓を切って脳を割いて生計を立てる医者と比較すればどうということはない。職にありつくための条件に関しては相当程度違う。顧客の機嫌を損ねればアウトという方向性は以前よりがぜん強化はされている。だが、金持ちには逆らえないし、"Nippon"に残った金を吸い尽くそうとする国際企業にとっては、そういったわがままを聞きさえすれば金を吸いだせる人々は、熾烈な交渉を要する他の企業や国家との取引と比べればずいぶんともろいものだ。というより、そういった"Nippon"の金持ちの面倒を見るのは(それら顧客の要望にあわせて)すべてJapaneseであり、営業その他を仕切れば後はなんとかなるのである。

"Nippon"の若者の中には、稀にその地域の文化に触発されて住み着いた外国籍の人々の子孫という者もおり、奇妙にもルルーシュと名づけられた青年もまたそのうちの一人である。彼は、退廃的な若者からは切り離された、上流階級のためのPrivate Schoolに通い、国際競争力とは何かについて学んでいる。彼はかつて"Nippon"が一つの国家であった時代の輝かしき時代について少なからず興味を持っており、また、Japaneseの中に潜在的に国際競争に今でも参戦できるであろう人材が眠っていることを知っている。

問題は彼らの意識であった。彼らは一度国際競争の波を知ることが出来ればそれに乗れるものの、その機会すら与えられず今の苦境に立たされている。このままいけば、世界はその潜在的能力を知ることなく、"Nippon"の真の終焉を見るであろう。

彼、ルルーシュの口癖は同僚にとっては気味が悪いものであるが、しかし彼自身は"Nippon"の本質を捉えていると信じて疑わない。曰く「日本はまだ本気を出していない」

はにゅー「このお話はフィクションなのです。実際の世界やアニメとは関係がないのです」