真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

承認欲求にとらわれると際限が無い件

承認欲求 - Wikipedia

最近、自分の発言で「今、こうなっている」と言ったり書いたりするとき、実は実際には全くそうなってはおらず「そうなって欲しい」という要求の表れでしかない、という場合がやたら増えたように思える。周りから私を見る目線について社内の何人かと色々話をするにつけ「流石にそれは自惚れだろーwww」と返されることが数度有ったが、実際私も「自惚れ」を自認しながら言ってたりするものだからややこしい。

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特にネット上で発言する場合、読者を引っ張り込むには極端な発言をした方が良い。一方、トラブルを起こさないようにするためにはとにかくコンサバに書くか、あるいは全く書かないかが良い選択肢になる。

また、ネットに限らず、一度何らかの形で「こいつは何かやる」と思われるようになった場合、どういう発言をしようと色眼鏡で見られてしまう。聴衆の数ではなく質で、総数が30人だろうが1000人だろうが関係なく、重要なのは懐疑的な聴衆の数となる。

ここで、特に聴衆は多くないが相対的に懐疑的な聴衆が多い状況では、嫌なことが起こる。読者を引っ張り込みたい一方でトラブルを起こさないために真ん中あたりの立場でものを書くと、聴衆は引き込めない割に懐疑的な聴衆のチェックや批判が通常より多くなるのだ。聴衆からは刺激が足りず、懐疑的な聴衆からは刺激が強すぎる、と判断される。メリットが明らかにないこの状況で、発言者が引き続き発言を続けるのはむずかしい。一般的には。

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しかし私の場合、むしろ燃え上がるようだ。聴衆にとって刺激が十分あり、懐疑的な聴衆にとっては「刺激が強すぎる」ものの「あまりに刺激が強すぎてこれ以上は到底容認出来ない」という程度ではない限界ギリギリのラインを目指そうとするようである。

以前はそこまで極端ではなかったものの、入社して3年目となり、何かにつけて他人と比べて自分に不足があると感じている現状、この行動を説明出来る欲求のレベルというのは一つしかないと思う。マズローの欲求階層でいう「承認欲求」に属する一連の欲求だ。

私は心理学に興味はありつつも不案内なので正しいかは分からないが、承認欲求を満たす難易度は「承認」を行う集団のレベルに依存する。集団のレベルが比較的低いとすれば、そこから「承認」を受け取ったと感じるしきい値は低い。集団のレベルがたかければ、しきい値は高い。

んで、今いる「集団」のレベルを測定すると、……スカウターが壊れたようだ。

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というわけで、永遠に自己実現欲求の段階には到達せず、私は流浪の民になるのであった。