真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

年中魂を売ってる

機械学習に魂を売ったコンピュータ将棋 - 武蔵野日記

某MLでは最近のルービックキューブの話がでていて「エレガント」ならぬ「エレファント」な手法で解いちゃって数学者にとっては困りモノなんじゃね、というのが出ていた。私の中ではエレンファントでもなんでもいいから探索空間を狭めるという道具として数学が機能してればそれでいいんだと思うけど。4色問題も、そういう側面があったというのが私の理解。

個人的にはモーションキャプチャも似たようなもん。人の骨の構造とかをモデル化して自由に画面の中で動かすという技術は、ある一定水準以上の戦いではモーションキャプチャ (== 人のまねをする)に勝ててないように思える。勝てていたら、ハリウッドは超自然な動きをモーションキャプチャ使って実現しようとは思わないだろう、と。もっとも、モーションキャプチャ自体、モデル化なわけだけど。

割と研究が進んで、行き詰まった分野で、ある意味「力技」が最後の解決手段になるという意味では何の不安もないんだけど、一方そういうのがメジャーになって以降に解法を考える人々が、先人の知恵をベースにしようとしない傾向を持つようになるというケースを非常に多く目にしているのも事実な希ガス。丁寧にモデル化しないでとにかく使うマシンの数増やして枝刈りすら超雑とか、むしろ「枝刈りしない方が人の費やす時間を節約できます!」みたいな。

より見込みがありそうな分野に力点をシフトしていく、という見方で力技に魂を売るってのは普通なので何の問題もない、というかむしろ頭が堅くないだけ好ましく感じる。ただ、新人な人がそういう「力技による解法ばっかり目にする」状況になったとき、果たして先人がやっていたようなエレガントな方法を探す能力を彼らん中に育てることは出来るののかね、と疑問に思うこともある。