真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

見苦しい後付けと先出しのジレンマ

何か深刻な問題が起こる確率が分かっていて、ただしその確率は「低い」とされているのです。

ここで仮に1000年に1回とか、10000年に1回だとか言っていても、まぁ、実はそんなに信用は出来ないわけです。その確率を算出する上でどのような情報を使ったのかを想像しましょう。あきらかに1000年試したわけではない。

1000年に1回という時につくるモデルには、そのモデルを酷使した際に生じる分布の歪みなどは含まれておりませんで、しかもそもそも、人の動きは果たして自然が織り成す統計の分布と同じでよろしいのか、といった疑問もあるわけです。ええ、異常値一つで統計的な妥当性ががっつりひっくり返るのです。何十σものの驚愕が、何故か10年のうちにひょいひょい起こって止められないんなら、そりゃそもそも前提となる理論がおかしい。

私がこれをだらだらしゃべるのなら与太話、ですがこの類の疑問に本気で答えた御仁が現代に一人、ナシム・ニコラス・タレブであります。というかね、上の話は全部受け売り。

ナシム・ニコラス・タレブ - Wikipedia

統計は彼の専門でもあり、そしてだから彼はこう言う「バッカじゃないバッカじゃない、統計を人文科学に当てはめるなんてバッカじゃない」……しまった何か混ざった

「大抵問題ない」と彼は言います。ただ「第四象限では、そうではない」と。

第四象限とは「複雑すぎて確率など計算できない世界」で、かつ「一つの失敗がとんでもない異常値として全体の統計的意味を破壊する世界」です。もちろん、その二軸から他の3種の象限も予想できましょう

彼の素晴らしいところは、そこらへんで「ほら見たことか」とあとになってからだらだらいい連ねている人と違って「先に予想し」「それで実際に金を儲けて実績を上げ」「うまくいかない理由を前もって世界に叩きつけていた」ことです。最初から正しくて、そして後から人気が出たのです。私みたいに後から烏合の衆が集まってきて、「黒い白鳥」こと「ブラックスワン」なる言葉がそこらじゅうに広まりました。ただ見た感じ、あんまり本来の意図を汲んで使ってる人を見たことはないわけですが。

彼のように先に出せること、素晴らしいことであります。私なんかそういうことはあまり出来ませんで、さらに言えばそれで金を儲けるなんていまだ出来てません。ええやろうとしてますが、ただレバレッジかけられないチキンの身ではねぇ

ところで、高貴な人であれば、「先に予想できるのであれば、止めればいいじゃない」と思う人も当然いて結構であります。あるいは、少し高貴さが薄れたような方々においては「先に予想できるのだから、止めることができたに違いない」とか、他人目線で語るわけです。

もうまったくすごく昔、とある三国志の解説本を買ってみて、解説者が一事例ごとに当代の賢人を馬鹿にするわけです。「私ならこう布陣していた」とか。いやぁ、そりゃぁ馬謖の件は遺憾でございましょうとも。

ただ、ちょっとまて。いやあえてこういう。まちたまえ君たち

わかってて止められたとかいう話であれば、緒サラリーマンの悲哀はきっとなくなります。ええとですね、TL上で、会社の愚痴を書く人もいます。ずっとうまくやる方法があるとか言ってるわけです。ええ、彼らが皆うまくやれるのであれば、きっと世の中うまくいきましょう。代わりに、転職率の多さに最近驚くわけですけどね。

現実はどこまでも過酷なもんで、自分が当事者であれば「いやそうはいかない事情がある」と言い、他人がミスをすれば「いや、うまくやれたはずだ」とか言い、そしてもし相手が「深刻な」ミスをすればさらに「深刻な事態が予想されたはずだから、私の件とは関係なくうまくやれたはずだ」とか自分勝手なことを言い出します。ええ勝手ですね。最近ケイブの売り込み戦略がクソだとか私も良く言ってるわけです。

そしてそして、話を戻しましょう。確率が判定できない第四象限においてこれは一層深刻なギャップを生むのです。一つ、確率論通りに行きません。一つ、にも関わらず人々は確率でゴーサインを出します。一つ、確率でうまくいかないとその時点で言っている人々は、要は新興宗教的な何者かでしかなく、直感以上の理屈でもってはゴーサインを覆せません。一つ、深刻な事態が起こるその日までは、その人達は「何か電波なことを言っていた当事者」以上ではありません。最後に、起きてからでは、失われた所々もろもろは二度と戻らず、「私は正しかった」とか言ってる人は、下手すりゃ瓦礫の下です。そして外野は、そんなこたぁわかってたわかってないとごっちゃごちゃ言う。

どちらのサイドにいる人々も、思うに見苦しいわけです。

タレブその人を上で紹介したのは「シラネ。俺儲けるもん、じゃぁ」という勢いで華麗に金融危機で儲けたからであります。現代の日本においても、そのような「シラネ。俺は予想したし、予想通りになったので色々儲けたよ」と高らかに宣言して隠遁する強烈なストア学派が望まれてやみません

最も高潔な筋の人は、きっと上の「両方見苦しいケース」の中で、深刻な事態を阻止している方々です。そして、彼らは永久に「電波」呼ばわりされるでしょう。

ああつまり、どこに自分をおいても見苦しいか報われないかの二択。私らはどちらを選ぶべきなんでしょうかね。少なくとも生暖かい風を追って満足に浸るような感じには、何かなりたくないなぁと思うんですが。

ところでこういうジレンマに対して「神様に頼るのがいいよっ」とさっくり返してくるのがヒルティです。めんどくさい人は、この道が一番楽でしょう。