真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

接着剤とかいうの

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工場の話と同一視するもんじゃないんだけどそれはともかくグルーガン便利ですね、ただ、だいたいいつも「ベスト」じゃないのわかってて使うよね、って話と既視感があったので、それをメモっておきたかったのでした。

接着と強度追加に、あとは手元でやってる電子工作に対して(正しいかはしらんのですが)絶縁処理的に使うことがある気がします。んで、丁寧に熱収縮ケーブルを先に通しておくとかするより楽で柔軟ダナーとか。

んで、これはホビーという言い訳しますけど、実際工場製品のケースでもそういうことはあるんだろうなとイチケン氏の以下の動画を見ていたときに思いました

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特にAnkerの充電器って世界トップクラスの最適化努力しているところだと思うんですが、すんごく接着剤でベタベタに見えます。ああ、それでいいんだ(よくねぇ by iFixit)と。

iFixitの主張は正論なんですが分解屋の事情に基づくクレーム、という風に一方的に見えるのが最近のわたしの好みからは外れてしまうんですよね。どういうことかというと「いい事ずくめに見えるのは、お前らが現場で最初に作る側にいないからでは?」という話。

最近の世の中って単純に作る・売る・フィードバックを消費者からする、では何も良くならない瞬間がある気がしてるんですよ。作るタイミングにサステナブル的なテーマの関係者を巻き込むか、サステナブル的な人が作るタイミングに入り込む努力をする必要があるというか。どちらからでもいいんですが、両方が対岸から「コストだ柔軟性だ」「持続性だ再利用性だ」と大声でわめきあうことでは物事あんまりよくならないなと。

もうちょっと細かく思っていることを書くと、よくなることもあるんですが、どっちかが大炎上するとか、エコーチェンバー的な中でジュクジュクした副作用がたまりにたまった結果として、本来得られるべき社会コスト対効果とは異なる経緯で「よくなる」(なんかが代わりにひどくわるくなる)ような感じです。「ちゃんと」連携すればもっと低コストに良い未来があったのに、みたいな、SFあるあるの展開と言っても良いかもですが。

後付け的に「振り返ってみればもっと良い方法はあったな」というのよりも、一見もっと遥かに自明に出来そうなことが出来ていない、そういうことは非常によくあるんですが、「対立」の構図が便利だからで、それが火を延焼させやすいからで、それは……えーと言葉悪いけど暴力の連鎖に近い構図っすね。

繰り返すと、ホビー用途でもグルーガン便利なんですよ