真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

どう苦しいか、に価値は見出し難い

苦しくなるとどう苦しいのかを詳細に調べ、一切の隙もないほどに精密に述べる人がいる。

気休めということならばまぁ良いとして、苦しみから開放される上で本当に必要なのはそんなことではない、と一言述べておきたい。

  • どういう経緯で苦しくなったのか
  • 苦しい原因は何なのか
  • どうすれば苦しみがなくなるのか

こういう部分に手を入れることでようやく次が見えてくる。本当に苦しみから開放されるのはその過程によってから「のみ」と言っても良い。

少々細かく言えば「どうすれば苦しみがなくなるのか」という目標を据えた上で、自分の立ち位置を測り直すために「どう苦しいのか」に立ち戻るときに限り、「どう苦しいのか」を探求する行為に意味がでてくる。

医者がどうして最初に「どう苦しいのか」を知りたがるのか。「直す」という明確な目的が背後にあるからだ。

現実から目を背けてあーたらどーたら言っている状況において「どう苦しいか」をとつとつと語られてもそこに価値などありはしない。