真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

逸話を一つ書いた程度では何にもならない

最近良く見るのは、アツい文体で「〜がやべぇ!みんなにげてー」と煽る類のナイスな文章だ。個人的に読んでる分には面白いんだけど、それを真に受けて「やべぇ (大沖風に)」とかみんなやってるのを見ると、ちょっと嫌な予感がする。

文化人類学の特定の民族に関する考察とかでなければ、おおよそどんな事象でも正反対の結論を導けるエピソードの一つや二つを探すことは可能で、それは嘘でもなんでもない。複数並べればそこそこ説得力のある文章にはなるが、本当は複数並べたってそれ以上の反証を挙げられるのが普通だ。逸話には魅力があるけど、その魅力が真実だっつー話にはほとんどならない。

まだ大学入って間もない頃、私も例によって睡眠時間を削ろうとしたことがあって、短眠に関する本を真剣に読んだのだけど、やめた。ある本では確か「東洋の魔女」と呼ばれた昔のバレーボール日本代表チームの睡眠時間が少ないことなど、成功体験をした人の中で睡眠時間が短い人を延々並べて「どうだ!」みたいな感じで書いてあった。その本の良心的なところは「例外的にアインシュタインのように長い睡眠をむさぼって成功する奴もいる」と書いているところだった。

ところで現代では、何かを覚えた後、睡眠時間6時間以上取らないと記憶の定着率が悪くなると言う統計データが出ているそうだ。

最近のネットの「論壇」では切れ(とコク)のある書き手がいて楽しい一方、はてブなんかで持ち上がるものの中には、なんとも微妙な逸話からなんとも滑稽な結論を正しく導いて「大変だ!」と騒ぐものが異様に多くhotlistに登場する。私個人はそういうのを生暖かく無視出来るのでいいのだけど、これを(昔私が短眠の本を読んだ時のように)真剣に受け止め続けたらどういう感じの思想を読み手に形成させるだろうかと考えると、結構まずいんじゃないかと思った。

もっともそれはネットに限った話しではそもそもなく、例えば古来から有名なカーネギーとかの文章も、基本的に逸話でしか説得してない。私的には『人を動かす』は納得出来るけど『道は開ける』は到底納得出来ない。というのも後者は「うつ病なんかない。気合で治せ」と言った感じの文章になっていて、それは典型的な勘違いであることが今では (日本を除いては) 一般的だ。その本を持ってきて古来の気合論者が「カーネギーなるものもまた悩みなど立ちどころに治ると示しているのである (又吉的に)」とか引き合いに出されたりすると、正直かなり困る。前者も、私が納得出来るというだけで根拠はそれほど明らかではない。

まぁ確かに私はもっと人の名前をちゃんと覚えるべきだと思うけどね!

個人的で独断的で限定的にしか適用出来ない思想を堂々とネット (か、本) にぶちまけてはてブされて「わーいわーい」とかやるのもいいんだけど、そういった情報の伝播が何か嫌な作用を社会に起こしているという気分が消えない。

衆愚っちゃぁおしまいだじぇ!

#ちなみに大沖のキャラは個人的にお気に入り。ソフビの霊夢と⑨は両方共買った。この前秋葉原のとらのビルののれんに大沖の絵が入ってて「すげぇ」とか思ったもんだ