真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

シレン6の普通の真髄クリア

 

(ふっとばされたのは盾です)

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上に書いた通りで「設計がクリア」というのが良くも悪くも私が経験してきたシレンのどのダンジョンとも違う気がする。これはこれで割り切りが良いんじゃないだろか。

Twitter見てると、真髄については賛否あるダンジョンというのは間違いないっぽい。私の思う表現でいうと、極論するとこのダンジョンのバランス調整は「挑戦」ではなく「接待」の文脈で整えられている感じがする。この使い勝手で復活の草が毒消し草より安い市場というのが自分には違和感がある。

ファンタジーはファンタジーなりに何らかの一貫した世界観クラスの思想があってほしい気がしていて、ゲームバランスのために店主がピエロやっている感じ。風来人……というそういうのが全部パロディ的に見えてきてしまう。ドラゴンボールにおける両津勘吉の登場である。

もちろん、そもそもで言うとゲームというのはそういうところは絶対にある。大体、誰も到達できないダンジョンの深層で店を広げるバカが、なんであんなに存在するのか、という話がある。つまりシレンは初代からずっと極論「茶番」なわけなんだけど、やはり茶番は茶番なりに、値付けにここまで忖度がある状態はふっしぎー、な気持ちになるんであった。

とはいえ、もうナンバリングだけで「6」なのであった。「難しければ良いよね」っていうのはもうシレンの世界でも違うとは思う。そういう素朴な思想の極限って、すでに裏白蛇の時点で一定以上やりきっちゃってるし、ガチンコ万歩もある意味そうだし、掛け軸裏99Fもそうだろうと。あるいはもう少し純粋なダンジョン設計のチャレンジの筋でもシレン5のレベル超過モンスター勢力とかそういう文脈で散々やっちゃっている。そこにきて、10年単位のブランクを空けてシレン6においてそっちに方向性を振ってたら絶対売れていないだろうし、販売数云々だけでなく「面白い」という感じも、なかなか多くの人にとって持てない作品になってたんじゃなかろか。

別の例だと、アクションで言えば1フレームしか許さない操作が楽しいってわけじゃなくて、むやみに難しいのが善でないのは、流石にここ数十年のコンピュータゲームの多々ある文脈の中で余裕で明らかになっちゃってるんだと思う。純粋にクリアギリギリで難しいという挑戦自体が既存のフォーマットでは相当やりきられちゃっていて開発におけるコスパもおそらくは全然良くない。裏白蛇とGAMBOLとケツイとグラ3のキューブ地帯と高橋名人の冒険島の8-3を直列繋ぎしたら多分すんごく難しいけど、そういうのは「楽しくない」で切り捨てて良いと思う。

一方でパチスロとガチャで麻薬的でいいのかっつったらそれはそれで違う方面で悩む。めんどくさいね人類。

そして、現代のゲームで「難しく面白い」はどこかしら「接待」に過ぎなくなってくる印象はある。そういうわけだから、真髄の難易度議論は不毛だ。