真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

シレン6のBGMとゲームの音楽一般雑感

Twitterで作曲担当的な会社の人がポストしていて考え込んだことがあったので、思い出したついでにメモっとく。ディスる意図はないんだ。

シレン6のBGMが悪いとは思わないんだけど、2つ気になることがある

  • 印象に残らない
  • 「どこにいるのか」イマイチわからない

行き着くと「テーマ曲がぼやけた」というところに行く。これはシレン5もある意味全く同じかもしれない(気づいたのがシレン6だったというだけ)

「私の初代シレンに対するイメージが強すぎる」という指摘があるとすれば、それはその通り。

シレン初代について言うなら、例えばゲームの区切りで宿場に戻ると、初代の典型的な序奏が弦楽器で流れ始め、メインテーマ的なのが流れ始める

youtu.be

概ね非常に多くの場所で同じフレーズの変奏曲のような感じが続く。これはトルネコの大冒険のときから同じだ。ただし、階層が深くなると曲が重くなったりする。

シレン6について言えばこういう仕掛けは希薄で、どちらかといえば「こういうの、喜ぶでしょ?」みたいな、変奏の仕方を表面的に舐めるような曲の演出を感じる。

「表面的」と言うと悪いみたいだが、そこは半々だ。例えばモンハウの曲はこの「表面」はとても大事で、「一大事!!」みたいな雰囲気と、最近のシレン(初代は多分この装置はない)にある「部屋に敵がいなくなったら(≒いったん落ち着いたら)曲がフロアの通常曲に戻る」といったところは良い。

問題は、音楽からは「一貫してシレンを感じる」「シレンの現在いる位置を感じる」ことができない、ということなのかなと思う。

シレンを感じない」→印象に残らない

シレンの現在いる位置を感じない」→「どこにいるのか」イマイチわからない

極論「その結果として」、とぐろ島というのは単なるダンジョン置き場でしかなくて、裏真髄と無双以外をクリアした現状で思うのは「シナリオ要らないからダンジョンだけ出して。シレン5のおばさんダンジョン紹介みたいな作りで十分なの」と思ってしまったりする。チュートリアルとしては大事なんだけどね……(合成の壺と異種合成の説明はシレン5にもあるべきだとは思った)。

一見テーブルマウンテンの入口と同じ雰囲気のある後半戦の印象がとにかく薄味なことに当初「なんでだろう」と思った。曲がすべての要因ではないんだけど、進んでいくときにBGMの方で盛り上げるという趣旨がおそらく抜けているのは、無視できない要因かもしれない、と思った次第だ。

より一般的な文脈に持っていくと、絵面やシチュエーションにすごくエネルギーを持ってくるけど、ゲームの中での印象の一貫性を維持して補強する音楽の仕組みは最近だいぶ失われたと感じなくもない。

全然別の分野のゲームを挙げる。フロムの死にゲーも自分はきらいではないんだけど、例えばダークソウルのBGMをサントラで聞いたときに「?」となったのであった。何か、曲から想起させてゲーム体験を思い返すようなものがあんまりない。どっちかといえば効果音(篝火とか、新しいエリアに入ったときの鐘みたいな音とか)のほうがはるかに強い印象を形成してしまう。(書いていて思ったが、フロムのゲームでBGMが強すぎるとトラウマになる気もしないではないな……)

の一貫性は、音楽だけでなくてゲームコンテンツがある一定の分量で維持されていて、ユーザの導線がそれにしたがって順番に形成されていく場合に特に大事にはなる。オープンワールドで自由に動き回れる場合は、音楽と順序のあるゲーム内シーンの連動というのは作りづらい。そういうのもあって、概ね曲は場の雰囲気だけを表象する、過去の作品との関連付けを想起させる、といったものになる。

私自身はやってない作品も結構あるんだけど、任天堂のゲームはむしろこういうのには丁寧なのかも、と聞く限りでは思う。スプラのヒーローモードの曲調は少なくとも対戦時と雰囲気(というか曲ジャンル)を意識的に変えている。そういったことを通じてプレイヤーが想起するゲーム内のキャラの現在地が異なること、独特の印象を残すことに(一部か全部かはともかく)成功している。

以前と比べてゲーム内BGMが持つ性質が上述の通り変化している、という状況自体が「悪い」ことという認識まではないし、BGMに求めるものがこのレベルになると、おそらくは「音大に起因する英知」みたいのが自然と求められてしまうのではないかなとも思う。テーマ曲の同じフレーズを使いつつそれを場面に併せて変容させる芸当というのは古典的で個人的には好きだけど、とてもではないがカジュアルなオレオレ作曲、あるいは仕事上のパイプライン的な活動の中でできそうなイメージが(私には)沸かない。また、個人的にはFF13を最後に、そういう印象で心が盛り上がったゲームはない。

シレン6において、BGMの作りが変容してゲーム内の一貫性を維持できていないこと、またそこから、ここ最近のゲーム一般で、ゲームの作られ方も影響してか同様の問題がある、といった趣旨に近い何かを以上で述べた。この事象が昨今のゲームが消費されて浪費されることと何か関係があるか、よくわからないがよくわからないんじゃないか。