真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

エンターテイメント周りの「正しい」生産消費とはなにか

ここではゲームをやって感想を述べたり自慢したりするサイクルを生産消費(生産=状況を外部に共有する、消費=ゲームで時間を浪費する)と呼んでいるだけで、要はいつものアレで「正しい」ってなんだろうな、と思ったということです。

直近 (2024-04) のネタで言えば神域リーグでまた千羽黒乃師匠が選ばれませんでした。半分なんとなく予想がついちゃった話でもあります。

実は去年あたりに「神域は茶番だなぁ」と白けたところがあって、多分その路線が今後も続くし、ある意味では上級系VTuberは誰かは呼ばれるけど誰かは呼ばれないのです。それはほんとうの意味でのガチなドラフトということでもなく、良くも悪くも談合でテンションが設定されている、そういう企画なのだ、という割り切りの帰結でありましょう。だって公式もガチイベントだとは称していないし。ガチイベントじゃないのにドラフトってなんなんだってなるんですけどね

また同じくらいのタイミングで、今度は陰蜂のノーコンテニュークリアというのがありました。こちら、縦スクロールSTG筋での正真正銘の快挙だと思います。というかまだやっている人がいたんだ……。パチパチ

ただ、一方で有名VTuberの兎田ぺこらのママが配信に参加するだけで多分数千万以上のお金が動きますし、スイカとか8番出口でわーきゃー言うほうが市場が動き、皆は楽しいと思うのです。

単純に言えば「すべてを一緒くたにするな」ということなんですが、これらは世間の時間を取り合うという意味では正しくエンタメだし、私の周囲で平然と混在するイベント群でもあります。そしてバラバラそうなんだけど、何か関係しているところもあるように思います。ここは私が大嫌いなサブカル系の論評にトーンを近づけるのも辞さずにあえて考えてみたいのです。

まず、この中で一番「本来」の評価を得るべきは千羽黒乃さんだと思います。投入時間の桁がおそらく違います。しかしずいぶん冷や飯食らってますね。次が陰蜂。難易度だけでいうとおそらく陰蜂のほうがすごいと思うんですが、対人でないものはパターンの累積の部分があると私は思っていて、収束はすると思うのです。収束に向けて資力、時間、他の愉しみが仮にあるならそれを捨てる覚悟、それ以外の将来をある意味では捨てるのです。

「捨てる」覚悟なのに、たまにエンタメ枠でお金を儲けられる瞬間があります。麻雀は多分アベマあたりが焚き付けたあたりからこの枠が急速に成長しました。雀魂も追い風です。ただ、これは努力をした側の人は狙えるものではない。

言い換えると、千羽と陰蜂(プレイヤーの名前使えよ、というのはさておき)はどちらもある種のエンタメ極める人の枠で、一方は儲けと注目を得て、一方はちょっとした界隈が拍手をして終焉するやつです。生活を担えるものでは決してないでしょう。

私の感覚でいうと、消費の性質はどちらも類似しているんですが、生産の帰結が丸々違う点が興味の対象です。言い換えると外部から見た際の「扱い」について、麻雀には麻雀業界自体の勢いがあって、結果として同じ消費がより儲かる生産につながっているのが千羽、あまりに時間が経ちすぎていて消費としては極めて高度なのに何も経済的に跳ね返らないであろうのが陰蜂です。

そこで千羽さんですが、しかし彼女、麻雀業界の「ガチ」枠に近いのにMリーグには入れません。あれ、オフライン前提で顔出し前提だと思います。そこを直しに行くとは今のところは思えませんし、いまの現状での分析に終止することにします(個人的にはどこかでMリーグ的なガチ枠がVを招致する未来もなくはないと思いますが、麻雀業界は結局はバブルの中でのアレなので……)。

言い換えると、ガチ的な文脈では程度の差はあれ千羽さんは別のレイヤで限界に達している。陰蜂よりもこの件でもにょるのは、人気が出ている段階だからですね。話題にもなりやすい。本人が完成されています。相当地道な方です。

陰蜂が「生産方面では周囲3cmに満足されれば幸せなガチプレイヤー」であり、千羽さんは「生産方面でも完成されているガチプレイヤー(だって生活に関わるじゃん)」です。

実は筋の良さだと前者だと私は思いはじめました。「顔を出していないこと」「本性を明かさないこと」に市場がデバフをかける瞬間があるようす。

Vという性質がここで入ってきます。アイドルに近いんですよ。つまり真のガチとしての一本評価の前にキャラ立ちが先です。真のガチがネタに入るのはみんな喜びますが、真のガチが先です。千羽さんはVが先です。実のところホラーゲーで叫んでいる方が自然の態には近いんです。吉田沙保里選手がおもしろ企画に行くのと方向が逆です。女性雀士が容姿でわーきゃーも順序が基本逆です。

Vが先なんだけど、真のガチの人と等格か、下手すると一部と比較するとそれ以上でしょう。麻雀は一部運ゲーであるため正確な評価はしないしさせないですが、Mリーグにいても普通に打てるのでは?と思わせる基礎の実力です。後は顔出し配信であり、その場の雰囲気の話があると思いますが、千羽さんの中の人はリアル麻雀側の人ですし大丈夫な可能性が高い。

生産消費の性質が「半端」だということになってきます。片側はVの性質で、こちらが主にならざるをえません。そのうえで麻雀。麻雀のガチといえるプロ雀士の協会としてはガチを先に出す人を優先したいでしょう。自分たちのルールがあります。顔を出せ。

「神域」とかはガチとカニバらせない方向に振ったものだと去年思ったわけです。すると、千羽黒乃さんなりにゅうにゅうなりは非常に変なところにいるのでやりづらい。ある意味では相手のラインを攻めてこないもこもこさんやにいなさんのほうがポジション的にはポジティブでしょう。

ガチの協会からすると、イカゲーや8番出口や、そして麻雀に興味を持つガチ側に隣接しないVのほうが使いでがあります。お金と注目も持ってきます。

これ、「消費」の性質が「生産」における事情にひっかかる展開になっていると思います。「消費」の練度が抜群に高いから「生産」の方も好調になるとは限りません。「生産」を先に考えている界隈から逆算して「消費」するという順序が常に維持されるのでしょう。「消費」を優先するなら、どこかで確実に同じ界隈で「生産」中心の考え方を維持している人たちに道を譲らざるを得ない。

千羽さんについて言えば「麻雀」と「V」を「消費」することを通じて「生産」活動をやっています。この練度はかなり高いと思います。努力もしている。ただし順序が根底で間違っている、とも言えます。

「麻雀」を「生産」中心に考えるのがMリーガー。「V」を「生産」中心に考えるのは誰かというと、これは企業系Vもそうですし、そもそも生計立てることありきでキャラをバックフィルする系統の「V」です。中身の人が出張らすぎないこと、そのうえでvirtual 実質的であること。

「生産」を軸に考えて最終的にマミーを出す、その上で過度に危険な「消費」にしないバランスを確立していたのがぺこーら陣営です。どこまでも計算が逆方向で走ります。

Vとしての「消費」(つまり演じること)が正しくなるかは最後の話でしょう。割とそこまでいけずにリタイヤする人は多そうです。仕事だからね

エンターテイメントにおいては「消費」がたまたま「生産」に繋がることと「生産」に直結する「消費」を行うことは根本的に異なる活動なのかもしれないです。

もちろん「消費」が始まりで(外部の要因でたまたま)「生産」が順調というケースはなくはないでしょう。プロゲーマーというのは概して私はそういうところがあるように思います。そのゲームジャンルがたまたま盛り上がるということが必要。それでも、1億の賞金を奪う大会があるジャンルでも、そんなに儲かっている感じはしないです。

歴史やらなんやらでバフがもりもりの将棋とかはわからんでもないのですが、話に聞く奨励会の事情などを考えれば、あれは「生産」が先にくる覚悟を持っている人々ですね。そういう「生産」者としての資質ありきの人員を配置する生産サイドの文化そのものが母体です。

タイトルの話に収束させるとすると、「正しい」生産消費というのは

  • 儲けを安定させるなら「生産」を先に考えよ
  • 「消費」を「生産」に結びつけるなら「せいぜい小遣い」くらいを最頻値と考えて上を目指しすぎるな。「生産」を先に考えている人々にいずれ喰われる

という性質をきちんと認識したうえでやる、ということでしょう。

9割以上のエンタメの消費者は生産についてこの感覚を全く疑わないと思います。要はXで絵をポストする際に儲かると思ってないはずです。ただ、今はたまに広告案件とかがくることもあるようです。その際に、それを生計を立てるための主要な戦略に転換させるのは上記の検討をしてからにしよう、ということでしょう。「生産」をつきつめて考える、ということです。

どういう業界でも、生活を行えるということは「生産」を主体的に考える人々がいます。自分がその最初の最初にいるのでなければ(典型的にはプラットフォーマー)、「消費」のロジックを突き詰めて「生産」の量を増やそうと思ったりしないほうがよさそうです。むしろ、下手くそ麻雀初心者Vの如く狡猾にやることです。麻雀にほんとに興味あるんか?ないでしょうね。あの人々はVとしての「生産」のロジックの中で麻雀をポートフォリオの一つに組み込みたいというだけです。

感覚的にはここ1年で千羽さんは最強とかそういうのではなく「コーチ役」のスタンスにシフトするのかなと思います。ある意味では「生産」的です。基底の強さを否定するひとはいないでしょうから、それでええんじゃないか、とも思います。ただし見ている側としては、頂点極めたフラグもない「コーチ」をそんなに応援したいかな、というのもあります。