真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

正直DDRにプロの夢見たくねぇなと言う話

パネル下のライト点灯タイミングは自然に実装すれば通電時、一方ゲーム側の判定はOSによる何らかのタイマー割り込みの間隔でのショットの判定だと予想します。すると、どうしてもfpsの切れ目の際どいタイミングでは極稀にこういうことが起こるんだろうなぁ、なんて思いました。重箱の隅をつつくとすれば、1Pと2Pで電気信号がたどるケーブル長も実は違うだろうし個体差もあるでしょう。究極的に、1Pと2Pが完全に同じ判定であると保証するのは相当大変だと思われます。稀にこういうことは起こるんだろうなと。ただ、露骨に苛つくのは何千プレイに1回くらいの頻度じゃないでしょうか。正直、処理落ちの方が有りそうです。

どちらか言うと、こういうのを見るたびに「なんで隣でそんな真剣にプレイして比較してるんだっけ」という気持ちはDDRに限らずバーサス系いれる音ゲー一般には思うところだったりします。アリーナも極論同じなんですが……。

格ゲーみたいに相対する方もそれはそれでフェアさがない瞬間というのはあるっちゃぁあると思う(1Pと2Pで入力入れやすさそもそも違うじゃないですか)んですが、音ゲーのこの手のプレイを突き詰めていくと満点orゼロになる点はかならずあるし、突き詰めすぎるのつまらないから判定ゆるくなったんじゃないっけ、なんていうところも含めて、なんか「プロ化」する流れに違和感感じるんですよね。見るエンターテイメントとしてはなんかすごく中途半端というか。

この話を考えている際に「ではウサイン・ボルトに同じこと思うっけ」なんて言う話にも(自分の中では)なります。100m走だって理論値突き詰めるなら横並びで走る協議会の意味よくわかんねーです。オリンピックの結構な個人競技も否定するべきなんじゃねーの。ボルダリングで二人並んでぐわーって登るのも同じ。

100m走は良くて音ゲー駄目な理由は私にも良くわかりません。究極的には観客が良いと思えばエンタメは成り立つし、そうでなければ成り立たない。慣性が付けばルール上いびつでもお金は循環するわけです。市場さえあれば、たとえエンターテイメントの中身が歪もかなり長期間成立するものがありますよね。

とは言うものの、2000年代頭からDDRやっている感じでは「なんか、プロはちげーな」と思う感じが続いている印象あります。当時から音ゲーのプロみたいのは夢として語られていた記憶はあるんですが、私が自分の記憶を歪めていなければ、当時からあんまりそれには魅力を感じてなかった気も。まぁ自分がなるならないについて言えば競技全般が私弱いからでもあると思うんですが。

今「プロ」というのがBPLにおいて実際存在している、というのは事実としてあって、ただ見ていて私個人は盛り上がらないなぁ、早く終わらないかな、と邪悪な感じで思っていたりします。終わらないなら終わらないで発見がありそうなので、別に本当に終わらせようと画策なんてしようとは思わないですが、あんまり長続きして「健全」(それがどういうものであれ)な感じがしないんですよね。

すごくおまけとして、スト6の流れでそちらのプロをパット見た感じ、こっちは然るべきしてプロという枠を確保できるゲーム性を作り込んでいるな、と思えた部分がかなりあって、プロゲーマー全般に対して否定的、ということではないです。APEXとかLoLとかでも人と人が機械の判定者を介して直接対峙するゲームは相対的に納得感あります。DDRを代表とした多くの音ゲーはそうではないので、何か違和感がある(ただそれなら徒競走も同じやん、というのが前半の話でした)