真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

CS系の修士/博士は取るべきか

大学院に進むべきか否か、それが問題だ ? | スラド Slashdotに聞け

うちの場合だとCSのknowledgeという意味では学士でかなりサチってて、修士で新しい何か新しい知識を学んだって記憶があまりないんだよね。あるとすると、当時はむしろマネージメントとか初等経済学とか社会学とかワープア問題とか対人交流スキルとか、修士という時間を利用して色々遊んでいたというのが実際のところで。

今のところ「修士」というラベルが何かに有効に働いたという気はしない。うちの会社だからかもしれないけど「君博士取ってないの?じゃあお呼びじゃないよ」みたいな風に扱われたことはない。私が相手を見るときも「学士か修士か博士か」のチェックより、何かのプロジェクト/プロダクトで有名な人かとか、実際に社内で何をやってきたのか、みたいな具体的な能力を見る。その人のコードや知見がすごければ学歴なんて見ない。

ある日コードレビューを依頼したとき、私の change の説明だけを読んで「コード読んでないけど、多分そのオブジェクトはキャッシュするんじゃなくて使いまわす方がメモリ効率的にナイスだし、速度的にも問題ないと思うよ」と返してきた人がいて、実際調べてみたらそのとおりだったということがあった。あの人はすごいと思う。そして私はその人の学歴なんか知らない。

私が出た大学も含めて、修士というのは努力賞程度の意味しかないのが実態で、それを見てその人のレベルというか格を見るって全然 make sense じゃぁないんだよね。博士ですら、そう。あんまり具体例は言えないけど、社会人2年経験して学士未満のCSレベルしかない博士なんてゴロゴロ、というのが少なくとも日本の現状らしい。これは物理の博士の話だけど「コイル巻いて博士取った」という例を聞いたことがある。大規模プロジェクトの雑用の末の博士で、自分自身で独立して何かやった分けではない、っつー意味だ。その博士は何の賞に値するんだろう。

私が修士のときにお世話になった教授は「博士を取っておかないと見下される」みたいなことを言ってたけど、西海岸で向こうの人と話していた感じの印象ではそれは「嘘」だと思った。誰も「博士であるか」は見ちゃいない。能力があるかを実際に仕事させてみて確かめる風潮が出来ている、あるいは出来つつある。

関係ないかもしれないけど、黒人を差別したがる傾向は貧しい白人の方が裕福な白人より強いそうだ。学歴もそうなりつつあるんではないかっつーのが私の感触。

修士というラベルがどうかではなく修士課程で学んだことについて言及すると、上記のmisc的知識は1/10くらいは役にたったけど今はあんまり役に立ってない。役に立ってる度で言えば、学士中にサポートのバイトをしてた経験の方がはるかに役に立ってる。

「研究をする能力」を鍛えるという意味での修士は悪くなかった。研究に対する態度や論文を書くときの態度を適切に正そうとしていたうちの先生の態度は非常に正しい。実際のところ、コードをうまく書くことと研究する能力の間には何か強い関連性があるんじゃないかと最近思っている。もちろん、それは修士で研究したからコードがかけるという意味でも、コードがかければ修士過程を通り抜けられる、という意味でもないので、相関にすらなってないのだが、何か関係があると感じられるときがあるのだ。

でも一方で、修士課程の密度は2年を費やすほどには濃くなかった。1年でみっちり研究に身を浸す方がずっと意味があって、そういう意味では、企業の研究所で(仮に金になるものしか対象にならないとしても)確たる実績を金銭を餌に要求される方がずっと勉強になるんじゃないかね。日本の修士過程が金を払って「だからお前らもっとマジで研究しろ」という体制になれば話は別だけど、そうはならなそうなのが現状だろう。

私にとっての「修士」にはもう一つおまけがある。2年待機していたおかげで今の会社が新卒を取りはじめ、私はそのときに就活出来た。というわけで、いまこの会社にいるってことが修士にいた最大のメリットだ :)