真 もわ爛漫

しゃーら、しゃーらしゃーら

競技音ゲーについて考えていた

あー、まぁ、直接には意識してるのはDDRなんすけどね。あと、このエントリは業界とかそういうんじゃなくて主に「好み」の話を優先します。

知り合い同士でVERSUSやることについては全然違和感ないんですよ。問題は不特定多数との対戦みたいなやつ。表面的には盛り上がるのでそりゃぁシステムに組み込むのはわかります。

ただ「理論値に対して差分がショットで出るか出ないか」が究極的に評価対象なんだと思うんです音ゲー。あるいはコンディションの上下に対して最頻値とか平均値と分散(標準偏差、スコアの散らばり)が大事なんだと思うんです音ゲー分散の小ささはゲームのうまさを主観で見る際にも「安定しているか否か」というのでわかりますから、そういうのをつきつめるのはわからないでもない

ただ、そこから一歩踏み出して「対戦」になる理屈はよくわからないんです。「対戦する必要ある?」「対戦相手と相対で変化する要素ってどんだけある?」なんです。

まぁ言うなら選曲はありますよね。Pluto The Firstどーん、ORCAどーん。数百という曲という単位で譜面あって、DDRについていえば予想不可能な停止が年々増え続けている中で相手が選んだ選曲に対してスコア安定させるってのは何か「違う」感じがしてきています。

しかも、別に選曲後に相手のプレイ要らないんですよね。極論「嫌がらせ選曲」をシステムに組み込めば良い、そのほうが「絶対的な己の強さ」という観点でははっきり弱点に刺してくる気がします。そして、そのためには最大スコアではなくスコアの分布であり、曖昧模糊としたレーダーチャート以上のサイバーメトリクスをシステムに実装するのが正解であって、「隣の誰か」は大事じゃない

格ゲーや麻雀はこの観点では「隣の誰か」は大事だと思います。なんつってもそいつらの動きが自分の動きにマジ直接影響ありますから。

音ゲー、もう少し言うと「本来単独走でプレイすれば良いゲーム」を横に並べて「対戦」を装う風潮好きじゃないってことですね。好きじゃないというか「理路がわからん」のです。「理路」とは具体的には「そのゲームにおいて楽しむ・経験を積み重ねるうえで必要もしくは重要なファクターであることを納得させてくれる説明」みたいなもんです。

DJバトルなら「行ったり来たり」でわかります。同じ譜面を同時並走していて相手のスコアが見える「から」ゲームにおいてすごく大きな転換があるのかというとよくわかりません。まぁ「がんばる!」みたいな気持ちは多少は生まれますが、自己ベストを越すのより上の目標としてどうなん……ってなるわけです。

こういう「好み」に立脚して、音ゲーのプロというのは私はあまり好きな概念ではない、というのも一応書いとこうかなと。これ、大学の時点からある程度懐疑的な筋だったと記憶しているんですが、単に記憶を改竄しているかも。

ちなみにクライミングで横二人で並走するオリンピック競技もその意味では私はいまいちよくわかってません。水泳も同じ、ではあります。オリンピック競技においてすら妙なことをやっているのだから、音ゲーだけ批判するというのはどうこう、はまぁ正しい反応。社会的に受容されるかについて言えば、ポピュラリティがもっと上に来るんだろうというのは同意できます。

まぁただ、オリンピック競技は「公式の記録会」の側面が非常に強いのだとも思っていて、いつも記録できている音ゲーデジタルゲーム)ではなんともかんともニンニン、かな。ゲーセン毎に筐体差異が異常にあるということでももはやないだろうし

あくまで好みの話ですが、ある程度「理路のなさ」は大衆に受容されるときにも効いてくるとは思うので、懐疑的な見解が結果的に見当違いになるのか、やはりそうなるのか、というのは、今後の人生ではヲチしていくことになるんだろうなと。